ひらりひらり
「かわいい〜」おもわず出た一言にはっとして
あわてて口元を手で押さえたのは私の秘書だ
スポンサーをしているこのイベントに
どうしても顔を出して下さいと連れてこられた
「好きにしていていいよ。出口で待っていてくれ」
関係者への挨拶はきっと口実だろう
「でも・・・」
「そうだな、15分後に」
「・・・はい」
うす暗い会場の向こうから会釈をする主催者の姿を見て
彼女は私の側から離れていった
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「恐れ入ります。お運びいただきまして」
「今年も盛況ですね。おめでとうございます」
目の前の水槽の色が変わってゆく
浮かび上がっていた赤が青く・・黒く・・・
型通りの挨拶を交わす同世代の主催者の目には
私の濃紺のスーツに差した白いポケットチーフだけが
ライトアップされた金魚の尾のように映っているのだろうか
「せっかくですから、ゆっくりご覧になってください」
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
すっかり板についた法被姿の背中を見送った
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「山崎社長」
入れ替わりのように秘書の抑えた声がした
うす暗がりからライトの中にふっと華奢な白い頬が浮かぶ
「君か、ゆっくり見ていればいいのに」
「ご一緒します」
水槽の中で群れ泳ぐ金魚のようにそっと寄り添ってくる
会場をまだ半分も巡っていない
次に主催者と会う時のためにも
今日は見ないで帰るわけにはいかないだろう
増え始めた人を避ける様にして改めて歩を進める
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「足許に気をつけて」
振り返った私に秘書が微笑む
きっと可愛いのだろう
社内でもファンが多いと聞く
彼女に会う為に社長室に足を運ぶ社員もいるらしい
でも・・・
私を惑わすことが出来る女性はまったく違うタイプだ
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ひらりひらり・・・
金魚の透ける尾が私の視界を横切ってゆく
背の高い白く柔らかなあの女性の胸元をおおうレースのように
このうす暗がりの中でもひとり
ハイヒールのまま迷うこと無くすっと歩いてゆく
照明に照らされた彼女の横顔を揺れる黒髪が覆う度に
見失うのではないかと私だけが不安になるのだ、きっと
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決して群れたりしない
ただ一人ここに閉じ込められても凛としているだろう
そして男の指が触れるその時だけ
その白い背中を、たおやかな腕を、やわらかな胸元を
ひらりひらりと柔らかくひらめかせるのだ
ほら、もっと触れたいのでしょう・・・と
あの繊細な白い肌の奥が
揺れる白い乳房だと解らぬように
似つかわしくない扇情的な
ピンクのライトの下に閉じ込めてしまおうか
私だけがその姿を鑑賞できるように
私だけがその繊細な肌と柔らかなふくらみを
すべすべと撫でられるように
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それともあの女性のためには
輝く玉座が相応しいのか
多くの男がかしずく妖しく美しい水槽で作られた玉座
その中心で微笑むのを私は見ているしかないのか
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「あっ、社長っ・・・」
とっさに触れた細い指をつかみ取る
近くにいた秘書が小さな段差につまずいたらしい
「大丈夫か?」
「はい ありがとうございます」
「君は社に帰りなさい」
体勢を立て直した秘書の小さな顔が少しこわばる
何か失敗をしたときに良く見せる表情だ
こんなことで叱ったりしないのに・・・
「次のアポにはここから行くから帰っていいよ。
今日は社には戻らない。あとは宜しく頼む」
「あっ、はい。わかりました。失礼します」
もう少しここに居よう
邪魔はもうされない
あの女性の幻影に麻のスーツ姿で昂る私を
ここならきっと隠してくれるに違いないから
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