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SnowWhite 1

大晦日の午前11時21分。
わたくしは、大きめの荷物を1つ持って武蔵五日市駅の南口に降り立ちました。
年末年始を一緒に過ごそうとご連絡くださった方との待ち合わせのためでした。
最初は都内までわたくしを迎えに来るとおっしゃった方に、中央道の渋滞のなかわざわざお越しいただくまではないと、ここでの待ち合わせをすることに決めたのです。
お約束は11時30分。
まだ新しい感じなのに手書きの駅名看板・レンガづくりのような駅舎がどこかほっとさせる印象を持った駅でした。
南口前のロータリーは、バスやタクシーがぽつりぽつりと・・・左手の奥にある駐車スペースには、帰省する家族を迎えるためでしょうか、何台かの車が停まっておりました。
待ち合わせまで、あと数分。ロータリーを見回しても、心当たりの車などありません。当たり前です。わたくしはどんな車が迎えにくるのか・・・何一つ聞いていなかったのですから。
駅前を吹く風は、暖冬だと言われている東京にあって、山の厳しい冷たさを感じさせるものでした。そう、今年のお正月に訪れた雪の別荘の空気感に似ている・・といえば言えたでしょうか。

1枚革のリバーシブルになったミンクのロングコートの襟を掻き合わせたところで、クラクションが2つ鳴らされて、ミラノレッドのパジェロが眼の前に停まったのです。
「すまない。待たせたかな。」
「いいえ、まだお時間の前ですもの。お手数をお掛けします。」
わたくしが逆らう事のできない、深くて豊かな声は・・・桜の時期からなにも変わっていらっしゃいませんでした。
「あの、荷物は後ろに入れてもいいですか?」
「ああ、そうしてくれ。」
いつものお仕事用のバンは助手さんに運転させている高梨さんが、きっちりとシートベルトを締めて、パジェロの革のシートに収まってらっしゃいます。
わたくしはショートボディのリアドアを開けて、手にしたバッグをリアシートに置き、それから助手席に改めて座りました。
当たり前のようにシートベルトを締めるわたくしを確かめてから、ゆっくりと車を発進させます。
パジェロは駅前のロータリーを右へ、真っすぐに進んでゆきました。

「お元気そうでよかったわ。お言葉に甘えてここまで来てしまいました。」
「うれしいよ。祥子さんとこうして一緒に過ごせるなんて。」
「わたくしの方こそ。こちらは高梨さんの別荘なの?」
「ははは、そんなに優雅なもんじゃないよ。そうだね、どちらかといえば、本宅だ。」
「本宅?」
眼の前を流れる標識には<檜原街道>という文字が見えました。
警察署を過ぎ住宅街を抜けてゆくのですが、道の先には杉の木に覆われた山がそびえているのです。
「祥子さんとは、いつも六本木のアトリエでばかり逢っているからね。ここは、本当の自宅になるんだ。祖父から譲られた土地でね、気に入っている。だけど仕事にはあまりに不便だから、六本木にいることも多くてね。」
「そうでしたの。ご両親もこちらに?」
「いや、いまは弟夫婦と福岡で暮らしている。もうこの年齢で里帰りでもないからね。それに年があければまたすぐに海外生活だ。だから毎年正月はここで過ごしているんだよ。」
「去年もあの第九の後?」
「そう、祥子さんが帰ったあとここに戻ってきた。」
<本宿>と書かれた信号の手前には、大きな檜原村役場の建物と左手に曾ての本陣にあたるのでしょうか・・・立派な和風の建物がありました。

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「どこに連れて行かれるのか、不安かな?」
「いえ、わたくしを置き去りになんてしないでしょう。だったら平気ですわ。」
「置き去りどころか一人にもしたくないところだけどね。これから行くのはね、檜原村なんだよ。あと10キロくらい先になるけれどね。」
「はじめてですわ。以前奥多摩へ遊びに来た事はありますけれど。」
「そうだね、あんな雰囲気の場所だが、丁度この先に分岐点がある。祥子さんのことだから奥多摩は旅館にでも泊まったのかな。」
「ええ、もう随分前になります。まだ、人妻だったころですから、ふふふ、とっても昔ね。」
「うちはただの田舎家だから、あまり期待しないでくれ。家の前で少し野菜を作っているから新鮮なものを食べてもらえるくらいかな。」
「充分です。」
「そろそろ、お店がなくなるが必要なものがあれば買ってゆくよ。」
おっしゃる通りでした。道の左右にはもうコンビニなどはありません。地元の方が経営されるお店が林の間にぽつりぽつりと・・・並んでいるだけでした。
「必要なものは揃ってらっしゃるのでしょう。」
「一応はね。」
「でしたら構いませんわ。二人ですもの、あるものでさせていただきます。」

メールで高梨さんは『自宅に招くのだから食事などあまり期待しないでくれ』とおっしゃってました。
そこで『台所を使わせていただけるのなら、簡単なものでよろしければわたくしに作らせてください。』とお返事をしておいたのです。
『手料理が食べられるのか、それは嬉しいな。』というのが、打ち合わせの最後に高梨さんが送ってくださったお返事だったのです。

「それと、二人きりじゃないんだ。」
「えっ。」
わたくしは、まさかと思いました。いつも二人きりでお逢いする高梨さんが、まさか他の方を・・・それもわたくしが存じ上げているとすれば、あのカメラのアシスタントをされている若い方だけです。
「祥子さんは、動物は苦手かな?」
「いいえ。そうですね、特殊なは虫類とかでなければ、好きですよ。」
「びっくりするといけないから話しておくよ。うちにはサモエドが居るんだ。」
「サモエドってあの・・・シベリアにいる大きな白い犬?」
二人きりじゃない、というのはそういうことだったのです。
まったく存じ上げない他の男性と一緒じゃなくて・・・良かったと、思いました。
「そう、まだ若いからさほど大きくはないが20キロくらいはある。大型犬は苦手かな?」
「いいえ。大きいわんちゃんのが好きだわ。それにたしかとっても人なつこい犬種じゃなかったかしら。」
「ああ、祥子さんの側を離れなくなってしまうかもしれないな。」
「ふふふ、やきもちを妬いたりしないでくださいね。」
「僕がかい。はははは・・気をつけるよ。」
きっと可愛がっていらっしゃるのでしょう。
こんなふうにお話しても、もしかしたらやきもちを妬くのはわたくしのほうになってしまうのかもしれません。

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「名前はなんて言うんですか?」
「白雪っていう名前だ。」
「はくせつ?また難しい名前ね、どんな字を書くんですか?」
「白雪だよ。白雪姫の白雪。」
「あら、でもしらゆきちゃんじゃないってことは、男の子なんですか?」
「そうだよ。だから祥子さんの知らない若い牡が一頭一緒にいることになる。」
若い牡。その言葉に少しだけドキッとしました。
ただのペットなのです。
寂しがりやの犬種だということは知っておりました。きっと高梨さんがいらっしゃる間は、可愛いパートナーとしてお部屋で飼ってらっしゃるのでしょう。
「楽しみが1つ増えましたわ。」
「それならよかった。」
片頬で笑う高梨さんに、わたくしはほっと小さなため息をつきました。
考え過ぎ・・・・でした。1年前のお正月のせいでそんな風に考えてしまう自分の過剰反応に、わたくしは苦笑いをかみ殺すしかありませんでした。

まったくの山道になって数分。右の山肌を上ってゆく細い道へとパジェロがウインカーを上げました。
「もうすぐそこだよ。」
急な坂道を上り数軒の民家を通り過ぎると、その先には開けた畑が広がっていました。
道の正面。突き当たりの木組みの大きな平屋の玄関先に、はしゃぐ白い犬が見えたのです。
「あそこだ。」
「すてきね。ログハウスみたいな木組みのお家なのね。」
「よかった。そう言ってくれてうれしいよ。」
家の脇にパジェロを停めると、高梨さんはわたくしの荷物を持って先に下りてくださいました。
わたくしは、小さなハンドバッグだけを手に、車を下りたのです。
わふ・わふ・・わん・わん・・ 
飼い主と同じ様に太くて落ち着いた大型犬特有の鳴き声が、パジェロのドアを開けた途端に聞こえてきました。
長いリードで周囲を自由に動ける様にしているとはいえ、一人にされて寂しかったのでしょうか。高梨さんの姿を見るなり尻尾をぶんぶんと振って喜んでいるのがわかります。
飼い主とペットは似るといいますが、お髭の高梨さんの膝にじゃれている白雪は、もこもこの冬毛の表情がとてもキュートだったのです。
「はじめまして、白雪。よろしくね。」
一瞬、だれ?といった表情でわたくしを見たサモエドは、彼の前に膝を折って視線をさげたわたくしの側にきて2・3度、高梨さんとわたくしの顔を交互に見やると、わふ・・と一声鳴いて、差し出した手をぺろっと一舐めしてくれたのです。
「やっぱり祥子さんのことを気に入ったみたいだ。」
「そうですか。」
「ああ、ほら。もう甘えモードに入っている。」
白雪はわたくしに腰を押し付けるようにすると、撫でてくれと言わんがばかりに尻尾をふって、わふ・・と一声上げるのです。
厚くて白い毛皮の層は、まるで極上のムートンのようでした。
「ん、かわいいわ。わたくしのところではペットが飼えないから、こんな子を見ると羨ましくなっちゃう。」
「ここに居る間だけでも、堪能していったらいいよ。さ、これから3日間ゆっくり白雪とも過ごせるんだ。このままここに居たら凍えてしまうよ。家に入ろう」
立ち上がるわたくしのブーツの足元を白雪が何度も行き来をするのです。
「ごめんね。また後で、ゆっくり遊びましょう。」
つぶらな瞳で見上げる大きな白い犬の頭を撫でて、わたくしは高梨さんのご自宅へ入ったのです。

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「お邪魔いたします。」
先に室内に入られた高梨さんを追う様に、扉を開けた途端に感じたのは・・・炭が燃える時の独特の芳香でした。
チィィ・・・っ。わたくしはロングブーツのファスナーを引き下ろしながら、檜造の建物の放つ香りと炭の芳香をたっぷりと胸に吸い込んだのです。

高梨さんのお宅にお邪魔する事が決まって、わたくしはどんな装いをすればいいのか、とても迷いました。
<武蔵五日市の駅><田舎の家>というのが、高梨さんがわたくしにくださったヒントでした。避暑に山を訪れる時の様に、街でわたくしが普通にしているスタイルは、山のお家だととても浮いてしまうだろうと思ったのです。それもホテルのようになにもせずにもてなしていただくだけのお客様なら、多少のエレガントな装いも許されたかもしれません。
が、今回は高梨さんのご自宅でふたりきりのはずでした。家事を全てこなす必要はないにせよ、せめてお食事の準備くらいはお手伝いできればと思っていたのです。
ジーンズでも持っていれば、それが一番この場にぴったりとした装いだったのかもしれません。ですが、残念ながらわたくしは1本もそのようなものを持っておりませんでした。

アウトドアブランドのカジュアルなスタイルがお好きな高梨さんに合わせて、カジュアルだけれど居心地の良いスタイルを、手持ちのワードローブから選んだのです。
ここで過ごすための昼間の装いに選んだのは、膝丈のブラックデニムのスカートに白のニットタートルでした。ハイゲージのツインのカーディガンはロングタイプでしたから、バックスキンを表遣いにして着こなしたコートの下でももたつくことはなくあたたかでした。
それに高梨さんが運んでくださった少し大きなバッグの中には、シンプルなエプロンと、室内着にと持って来たロングスカートと同じ素材のトップス。それに替えのランジェリーが入っておりました。
インナーは、お正月の改まった気分に合わせて、白のレースのものを用意して来たのです。レギンスは30デニールの黒のタイツ。暖かくて、でも肌が僅かに透けるものを選んだのです。
『着替えなんて気にしなくていいよ。』
高梨さんはメールでそう言ってくださいました。
いつもご一緒する、都心のレジデンス棟の一室ならすぐにありとあらゆるショップでお買い物も楽しめます。でも、流石にここでは・・・といただいていた大まかな住所を見て思ったのです。ここまでくる道すがらでも、わたくしのお洋服を買う為には車で片道1時間ほどもかかるでしょう。独身の高梨さんがお1人でお住まいのはずなのに・・・そんなふうに甘えるわけにはまいりません。
特になにもおっしゃらない高梨さんになにか趣向があるのか、とも思いましたがせっかくの休日をいつもよりも少しくだけた雰囲気のままで過ごさせていただこうと決めたのです。

「暖かいんですのね。」
玄関を上がってすぐ右の扉で高梨さんは待っていてくださいました。
「先に着替えるかい?」
「いいえ、この後のご予定がわからないからなんともですけれど、お料理をするなら済ませてしまったほうがいいかと思って。するべきことをしてから、ゆっくりさせていただきますわ。」
「ああ、そうだね。でもその前に昼食がまだだろう。一緒に食べよう。」
「ふふ、お腹がすいていたの。うれしいわ。」
わたくしは充分に暖められた玄関先で脱いだコートを、高梨さんに預けたのです。

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「あっと、その前に簡単にこの家の説明をしておくよ。こっちがリビングとキッチンだ。」
「はい。」
入ってすぐのそこは20畳ほどのフローリングの空間でした。
炭が赤々と燃える囲炉裏が切られたコーナーにはふっくらとしたムートンの一枚革が敷かれておりました。木を半割にした柾目の美しいダイニングテーブル。そしてその奥にアイランドスタイルのキッチンがありました。
「ここからテラスに出られる。夏ならバーベキューをしても気持ちいいが、いまは白雪の縄張りになっている。」
レースのカーテンの向こうには、リビングとほぼ同じ広さのウッドデッキのテラスが広がっておりました。先ほど車を停めたところから見上げた印象よりも大きく感じました。
「広いのね。」
テラスのはじには、白雪用の木製のケージに餌入れや水入れが置いてあります。
しつけがきちんとしているのでしょう。食べ散らかすこともなく、きれいになっておりました。
「彼には多少不満みたいだけどね。」
「ふふふ、あんなに大きいわんちゃんなのだもの。しかたないわ。」
「こっちに来て。」
テラスを見つめながら、自然とわたくしの腰に回した腕でリードしながら・・・高梨さんはキッチンの脇の扉を開けたのです。
化粧室・お風呂・高梨さんの仕事関係の本が置いてある図書室のような部屋・ゲストルーム。
そして最後に連れてゆかれたのが、メインベッドルームでした。

「ここで3日間、可愛がってあげるよ。祥子。」
「あ・ん・・・」
堪え切れない様に重ねられた高梨さんの唇は、記憶のとおり柔らかく・乾いておりました。
手に持っていたわたくしのバッグを足元に落とし、両手でわたくしの身体を確かめる様にかき抱くと・・・ディープキスを続けられたのです。
「ん・・ぁん・・・ぁ・・っく」
わたくしは、身体の力が抜けてゆくようでした。
室内に入ったとき、リビングよりは数度低く少し寒く感じた室温が・・・いまでは火照った身体に心地良くなるほどに、高梨さんの唇と舌はわたくしを高めていったのです。
「ぁん・・だめ・・」
頽れそうになる膝に力を入れて、あおのけられた顔を高梨さんの胸に手を突いて引き離したのです。

「お昼、いただくんでしょう。」
「放っておいたら、祥子さんは先に白雪にキスを許してしまいそうだからね。」
「もう。」
再び抱きしめた腕の力を、高梨さんは少しだけゆるめてくださいました。
「ここらへんは周囲の眼が厳しいからね、いつもみたいに外で祥子さんを可愛がるわけにはいかないんだ。」
「だから、紳士だったんですね。」
この方は、露出羞恥をお好みになる方でした。
わたくしはいままで、高梨さんのお住まいになるレジデント棟のあの部屋へゆくまでに2度ともコートの下の衣服を奪われて、はしたないお散歩を強要されたのですから。