第九 in the MOVIE 6
「思ったよりも重症だったかな。」釜で炊き上げられたつやつやのお米と、赤出しが二人の前に並べられました。
ここまでのお料理でお腹がいっぱい・・・と思っていましたが、香りのよい新米はするんと喉を下りていったのです。
コクのあるお料理で奢っていた口の中がすっきりと清められてゆくようでした。
「いえ、そんなことはないんです。あのとき仲畑さんにご無理をしてお付き合いしていただいて、随分気持ちが変わったんです。本当にありがとうございました。」
「いや、大した事はしてないですよ。」
「彼の事はもう過去のことです。でも、どうすれば恋ができるのか忘れてしまっているみたいな感じなんです。」
「もったいないな、祥子さんみたいな人が。」
「いえ、そんなこと。」
「本当に恋人はいないんだね。」
「ええ。」
「それじゃ、今夜祥子さんを独り占めしても許されるね。」
仲畑さんは、夏の時と同じに直球を投げてらっしゃいます。
「誕生日の夜だと知っていて、祥子さんを一人にするなんてできない。」
わたくしは、どう答えていいのか・・・迷いました。
映画館で仲畑さんとお逢いしたときから、こうなる予感はしていたのです。お食事をご一緒してしまったら、きっと一人で夜を過ごすことが淋しくなってしまう・・・と。
同時に、そんな気持ちで男性に身を任す女性をこの方がお好きでないことも存じ上げておりました。
「デザートでございます。」
「まぁ、素敵。」
答えを躊躇っていたわたくしのまえに、美しいプレートがまいりました。
「厨房から些細ですが、バースデープレゼントです。」
選んでください・・・と言われた4つのデザート。そのうち、わたくしと仲畑さんの選んだブリュレは2つ。あとは1つずつ、5つのデザートが盛り合わされておりました。
「ありがとうございます。お料理もとても美味しかったわ。お礼を言っておいてください。」
「恐れ入ります。板長も喜びます。」
わたくしと、仲畑さんの前に取り皿とお茶を並べて下がられました。
「違うな。」
黄色が美しいマンゴープリンに手をのばしかけた時、仲畑さんがそうおっしゃったのです。
「なにがですか?」
「あ、好きなものをとってください。そういう意味じゃないんです。」
「ふふふ、仲畑さんがマンゴープリンが大好物なのかと思いました。」
「私は和栗のブリュレがあればいいですよ。」
そうおしゃって、最初のオーダー通りのデザートに手を伸ばされたのです。
「栗、お好きですか?」
「ええ、この時期なら新栗でしょう。きっと美味しいはずです。」
「それじゃ、わたくしも。」
バニラアイスクリームののったブリュレは、優しく豊かな味わいでした。
「美味しい。それにこんなにいろいろのデザートをいただけるなんてうれしいわ。」
「良かったです。祥子さんにこんなに喜んでもらえて、私もうれしい。」
「仲畑さんは、あとは何を召し上がる?」
「ははは、甘い物は祥子さんにお任せします。どれでも好きなものを選んだらいい。」
「はい、それじゃお言葉に甘えて。」
こんなに甘いものをいただいたら、キスが甘くなっちゃうわ。
わたくしはそんな風に考えていました。
まだ、仲畑さんにお返事もしていないのに。今夜一人で過ごさなくてはならないことが・・・いやになっていたのです。
「祥子さん。」
「はい?」
「私が祥子さんと、1年に1日しかない祥子さんの誕生日を一緒に過ごしたいんです。ご一緒してもらえますか?」
第九 in the MOVIE 7
「わたくしをひとりにしないでください。」今度はためらいもなくそうお答えできました。
「それじゃ・・・さきほどの、違うなって。」
「そうです。どうしても今夜あなたを一人にできなかったのは、祥子さんの気持ちとか状況ではなくて私の気持ちだと気づいたからです。」
「ありがとうございます。うれしいわ。いま、ここでキスをプレゼントしたいくらい。」
「はは、ここではお行儀が悪いといって怒られてしまいそうです。本当のごちそうは後にとって置きましょう。」
ふふふ、二人は共犯者の微笑みで最後の2つのデザートを分け合ってディナーを終えたのです。
「ありがとうございました。」
仲畑さんとわたくしにコートを着せて下さったサービスの女性に見送られて、わたくしたちは贅沢で軽やかなディナーを楽しんだレストランを後にしました。
わたくしは、てっきり帝国ホテルの外へ向かうのかと思っておりました。
なのに仲畑さんが腕を組んだわたくしを連れて向かったのは、本館のフロントだったのです。
「ここで待っていてください。」
まるであの夏の夜のように、今夜はまだ明るいフロントの前のロビーの椅子にわたくしを座らせると、フロントで・・・チェックインをなさっているようでした。
「お待たせしました。」
「ご案内いたします。」
ブラウンとベージュの内装に、きりっとした濃紺のユニフォームが似合うベルボーイが仲畑さんと一緒にいらしていました。
「こちらです。」
案内されたのは、本館12階のお部屋でした。
「9月に改装したばかりのお部屋です。ノースモーキングルームになっておりますので、誠に恐れ入りますが喫煙はご遠慮ください。」
「ああ、私も彼女も煙草は嗜まないから安心してくれ。」
「明日になりましたら、皇居の緑をお楽しみいただけます。なにかございましたらフロントへ。それでは、失礼致します。」
夜の10時近くに宿泊の荷物も持たずに飛び込みでくる二人連れ。
お行儀よくその関係を察したベルボーイは早々にわたくしたちを二人きりにしてくれたのです。
そのお部屋は、帝国ホテルのいままでのイメージとはちがうオフホワイトとダークブラウンで構成されたモダンなインテリアが特徴でした。八角形のテーブルの上に置かれたプリザーブドフラワーの赤が、アクセントになっていました。
夏にご一緒したお部屋よりは少しだけ小さかったでしょうか。それでもリニューアルして間もないお部屋ならではの、美しさに溢れておりました。
「急だったから、あまりいい部屋がとれなかった。申し訳ないね。」
お部屋に案内されて、窓辺に立ち尽くしているわたくしに仲畑さんはそうおっしゃいました。
「いえ、素敵だわ。帝国のイメージとは随分ちがうのね。それに、禁煙のせいかしら空気が違うみたい。」
「ははは。そう言ってもらえればほっとできる。さ、コートを脱いで寛ごう。実はいいものがあるんだ。」
わたくしからシェアードミンクのテーラードコートを受け取ると、ご自分のコートと合わせて、クローゼットに掛けてくださいます。
「何か飲むかい?」
「コーヒーがいただけるとうれしいわ。」
わたくしは、さきほどのデザートで甘くなっておりました。上質のシャンパンの後にこれ以上のアルコールをいただくよりは、温かなコーヒーを飲みたくなったのです。
「それは、いいね。」
早速ルームサービスに電話をして、コーヒーを二つ取り寄せてくださいます。
「お酒はここにも少しあるし。他に欲しい物は?」
「いえ、充分ですわ。」
1人掛けのソファーに腰掛けていたわたくしの顎を、ついと引き上げると、仲畑さんは唇を寄せたのです。
「ん・・・ぇ・・・」
この方は、どんなに優しく紳士的に見えても・・・Sの性質を持った方でした。
その行為は迷いがなく、わたくしを見事にリードしてくださるだけのものを備えていたのです。
「甘い、キスだ。」
コン・コン・・・ ドアをノックする音がしなければ、これ以上のことを求められていたかもしれません。
コン・コン・・・ 「いま開けます。」二度目のノックに仲畑さんはわたくしをジッとみつめてから離れると、ドアを開けたのです。
第九 in the MOVIE 8
「コーヒーをお持ちしました。」白いクロスの掛けられたワゴンには、シルバーのポットとカップ&ソーサーが2つ。シルバーのピッチャーとシュガーポット。そして水のグラスが2つ。
「こちらでよろしいでしょうか。お済みになられましたら、ワゴンごと廊下へお出しください。」
「ありがとう。」
慣れた手つきでサインをされる仲畑さんの横顔は、わたくしの記憶のままでした。
伝票を渡すと、ルームサービスの男性は礼儀正しくお部屋を出てゆかれました。
じっとみていたわたくしの視線に仲畑さんは気づいていたのでしょう。
「何か付いているかい?」
「いいえ、お変わりがないなと思っていたんです。記憶の中の仲畑さんのままだなって。」
「ははは、ありがとう。あのとき随分恥ずかしいめに遭わせたから、ものすごく嫌なイメージになってるんじゃないかと心配していたんだよ。」
「そんな嫌だなんて。優しい方だと思っていましたわ。あの後、お礼をしたかったんですけれど、ご連絡先がわからなくて。」
そうでした。
涙が止まらなかったわたくしをこの方は救ってくださったのです。責め立てられ・泣き疲れて眠り込んだわたくしをこの方は優しく抱きしめて眠ってくださったのです。
翌朝朝食の席でちゃんと自己紹介までしてくださいました。
なのに、なぜかお互いに連絡先を交わす事はしませんでした。
『二人の感性が一緒なら、またいつか映画館で逢えるからね。 』
そう仲畑さんがおっしゃったからです。
「いいじゃないですか。連絡なんてしなくても祥子さんの一番大切な日にこうして映画館で逢えた。これも何かの縁でしょう。」
「ええ、そうですね。」
わたくしはあたたかいコーヒーカップを手にしました。子供が飲むみたいに両手でカップを包んで、香り高く好みよりも少し苦いコーヒーを一口いただいたのです。
「そう、見せたいものがあるんです。」
仲畑さんは、バッグの中から何かを取り出すとテレビセットに繋ぎました。
「えっ・・これ・・」
モノクロームのぶれの激しい画面。印象的にアップになる農村の人の顔・顔。後ろに流れるBGMは・・・先ほど映画館でみていた<敬愛するベートーベン>でした。
「もしかしてこれが仲畑さんの次のお仕事なの?」
「そうです。配給会社から渡された資料のうちの1つでね。」
この方は、洋画の吹き替えのお仕事をされる声優さんでした。
既に字幕が入っているDVDは、スピーカー設備が違う分だけ音の迫力には欠けましたが間違いなく先ほどの映画と同じものです。
このようなミニシアター系の映画は、ロードショーで吹き替え版をつくられることはほとんどありません。DVDを発売するときに、はじめて吹き替えの音声だけをデータにプラスするのです。
仲畑さんのおっしゃる資料には、きっと台本もおありなのでしょう。
今回・・・仲畑さんの声が似合うとしたら・・・。
「ベートーベンの吹き替えをなさるの?」
「ふふ、祥子さんには敵わないな。そうです。」
画面は最初の衝撃的なベートーベンの死の場面がはじまっていました。
マエストロ・・と呼び、寄り添う女性。その女性の顔を見て、ほっとしたように・・・それまでの痛みや苛立ちも洗い流すように・・・彼女を抱きしめようとするベートーベン。
短い、そして色彩に乏しいシーンなのに、二人の間の信頼の深さをくっきりと示しているシーンでした。
「どうですか?私には、似合いませんか。」
「ん・・お似合いだと思います。」
そう・・・素直に思えました。
映画の中で演じられているベートーベンは、学校の音楽室の肖像画やいままでの様々な映像で描かれているようなかんしゃく持ち風のエキセントリックな感じはありませんでした。
聞こえ難い苛立ちから、時にヒステリックになることはありましたが、人の気持ちを大切にする優しい瞳の理知的な男性でした。
アンナ・ホルツという、尼僧の姪にあたる若い女性の才能をいち早く認めたのも他の誰でもないベートーベンでした。
あの時代、女性の仕事や役割や能力は限定された範囲でだけ認められていました。
そこを逸脱した彼女の存在を黙殺するのではなく、畏怖しつつ受け入れてくれるのです。
あの夜に、初対面の泣きじゃくるわたくしを厳しく・そして優しく受け止めてくれた仲畑さんと同じ瞳でした。
『俺の譜面を違うと言って修正してくるんだぞ、若い女が。』
酒場で飲み仲間に、突然眼の前に表れた才能をどう受け止めていいか悩むベートーベンの姿は、かつて同じ様な言葉をわたくしの眼の前で旧友に向かって口にされた先輩社員のことを思い出させるほどだったのです。
第九 in the MOVIE 9
「気に入ったかい。」「ええ、まさかこんな風に二人でこの映画を見る事が出来るとは思いませんでしたわ。」
「映画館じゃない。寛いで見たらいい。」
仲畑さんは、もう一つの椅子をわたくしの隣に並べたのです。
コーヒーを前に、26インチほどのテレビ画面の前でわたくしたちは手を重ねあって<敬愛するベートーベン>を見続けていました。
互いの仕事の仕方やライフスタイルが解らず、23歳で叔母の尼僧院で生活するアンナ・ホルツはベートーベンのマイペースなライフスタイルに羞恥と戸惑いを隠し切れません。
それでも、仕事を続けたのは<第九>の初演が3日後に迫っていたからです。
ベートーベンがつくりあげる曲を清書してゆくアンナ・ホルツ。
恋人の建築設計技師の誘いにベートーベンの自宅と楽譜の印刷所との往復の間で、橋のコンペティションの話を聞かされても実は上の空なのです。
わたくしの右隣に座った仲畑さんは、時折ベートーベンのシーンでまるでアフレコのように字幕と同じ台詞を口にするのです。
画面での俳優さんの英語と字幕でイメージされていた<言葉>が、生のまま右の耳元でささやかれるのです。
わたくしが隣に居るとおもってらっしゃるせいで、決して大きなこえではないのです。でも、囁くような声でも見事に重なるその台詞はとても心に沁みいってきたのです。
時間に追われて清書をするアンナ・ホルツをベートーベンが見つめる度、わたくしは画面の中から仲畑さんに見つめられているような気がいたしました。
いよいよ、<第九>初演のシーンです。
聞こえないと・・指揮が出来ないと悩むベートーベンを励ますアンナ・ホルツ。
苦悩するベートーベンと同じ様に、仲畑さんはわたくしの手を握りシルクブラウスの肩に額を寄せるのです。
アンナは<第九>を恋人と聞くためにローブデコルテ姿でした。彼女に縋り・身を寄せるベートーベンはいまの仲畑さんよりも甘美な香りと温もりに包まれていたことでしょう。
テラス席ではなく、劇場の一番いい席をキープできる恋人と会場に来ていながら、マエストロ・ベートーベンの苦悩にアンナ・ホルツはサポートすることを約束するのです。弦楽器の一番後ろに座り、ベートーベンに向かってリズムと曲の始まりを合図する役割を彼女は果たします。
画面では、第四楽章が始まります。
ただ、向かい合って指揮をする二人・・・でも・・・。
「このシーン。とてもエロティックだと思わなかったかい?」
「・・・ええ、とても。精神が・心が愛を交わしているような、互いの奥深くを互いに知ろうとするような・・・そんな気がしました。」
「私はね・・・。」
突然のキスでした。
第九の合唱に合わせて強弱を極めるキス。
わたくしの身体は仲畑さんに引き寄せられ、椅子の上で身体の向きを変えられて・・・その間一度も唇を離してはいただけませんでした。
くちゅ・・・
弦楽器の囁くような曲調の時は唇を触れ合わすだけのように。
ちゅぷ・・ちゅぱ・・
テノールの力強い独唱は力強い舌でわたくしの口内を犯すように。
ん・・ぁ・・ぷちゅ・・くちゅぅ・・・
圧倒的な合唱はわたくしの全ての粘液を貪り尽くす様に・・・。
わたくしの身体は捻る様に引き寄せられ、唇を重ねたままで、第四楽章が終わり爆発的な拍手が響くときには、仲畑さんが座る椅子の前に跪いておりました。
『きみも一緒に、祝おう。』
第九の大成功に機嫌を良くするベートーベンはアンナ・ホルツを誘うのですが、彼女は恋人に肩を抱かれ・・・帰宅してしまうのです。
その後ろ姿を見る彼の淋しそうな表情を、わたくしは画面を見る事ができなくても充分に覚えていました。
「祥子さんのキスは第九以上に官能的だよ。」
わたくしの長い髪を両手で梳いて・・・肩の向こうに流してゆきます。
「ぃやん・・」
『まるでおならみたいだな。』
第九が成功した翌朝、機嫌のいいベートーベンにアンナ・ホルツは自分が作曲した作品をピアノで弾きながらいつものように酷評するのです。尊敬し敬愛しはじめたベートーベンの仕打ちにうちひしがれる彼女の葛藤も・・・わたくしの耳にはBGMのようにしか聞こえていませんでした。
なぜなら・・・
第九 in the MOVIE 10
「こっちへおいで」わたくしを仲畑さんの開いた脚の間に引き寄せます。
「最後列に並んで座っていても、今日みたいに混んでいたらキスもできなかったね。」
「そんな事に思ってらしたの?」
「初演のシーンを見て、キスしたくならなかった?」
わたくしはとっさに答えられなくて目を伏せたのです。
「ちゃんと答えなさい。」
俯いたわたくしを、仲畑さんはやさしく頭に乗せた手で仰向かせたのです。
「祥子。」
「したくなりました。優しく触れてほしかったわ。」
「こんな風にかな?」
仲畑さんの指は、わたくしのたっぷりとドレープの寄せられたシルクのボウタイに手を掛けたのです。
「私を見つめているんだ。アンナ・ホルツのように。そうだ。」
ベートーベンは彼女を失う事ができないと、アンナ・ホルツが去ってはじめて自覚したのです。神の音楽の代弁者は、彼女をふたたび手に入れるために尼僧院へ足を運び謝罪をして・・・アンナ・ホルツとのパートナーシップを再び手に入れる事ができました。
二人は音楽を通して尊敬と愛情と生き方と豊かな感性を交わしてゆくのです。
ベートーベンは彼女の若い新鮮な感性を・・・彼女への愛を。
アンナ・ホルツは神の声に導かれる既成概念に囚われないベートーベンの音楽への取り組み方を。
一人の熱情ではない、二人の情熱が互いに高め合うような時間の中で・・・
しゅるっ・・・キシッ・・・
首もとを覆っていたボウが絹鳴きの音を立てて解かれてゆきます。
ベートーベンがアンナ・ホルツのドレスを脱がせるシーンなんて映画の中では一度もなかったのに・・・まるで、そんなシーンがあったようにさえ思えるのです。
長いストールのように垂らされた襟。シルクでくるみこまれたブラウスの釦まで・・・仲畑さんは無言のままで、1つ1つ外してゆきました。
ウエストまで、全ての釦が開けられたとき初めて・・・ほぅという仲畑さんのため息が聞こえたのです。
「いい香りだ。そしてインナーまでブラウスと同じシルクホワイトなんだね。そのブラウスを脱いで、見事なランジェリー姿を見せてくれないか?」
テレビから流れるベートーベンの代表作「ピアノ・ソナタ第32番」。
わたくしはあまりに美しいそのメロディに従う様に手首の釦を外したのです。
しゅ・・・しゅる・・・
スカートのウエストから引き出すブラウスの衣擦れの音さえ・・・高く響くのです。
全ての釦をはずして、わたくしは肩先から・・・白のシルクのブラウスを落としたのです。
『私のことを洗ってくれないか。』
楽譜を清書するアンナ・ホルツに生涯妻を持たなかったベートーベンが、もっともセクシャルな行為として命令するシーンでした。
『さぁ』
その台詞は、わたくしの背後で流れる映画からと・・・わたくしを見つめ下ろす仲畑さんの唇から同時に聞こえてきたのです。
映画のようにお湯で絞ったタオルで身体を拭う事はいまのわたくしにはできません。
わたくしに出来るのは・・・
「・・・はい。」
仲畑さんの脚の間で、ターコイズブルーのセーターと美しい調和を見せる彼のキャメルのスラックスのウエストへと手を伸ばしたのです。
ベルトを外し、ファスナーを下ろしてブラウンのボクサーパンツの中から半ば立ち上がった塊を引き出したのです。
『ジャァァ・・ ピチャ・・』
「くちゅ・・っ ぺちょぉ・・・」
湯を含んだタオルの立てる水音が背後の画面の中から流れます。
なにも持たないわたくしは、唇の内側にコーヒーの香りの唾液を口一杯に溜めて・・・舌を使って仲畑さんを清めるしかできません。
「くぷぅ・・・くちゃぁ・・・んちゅぅ・・・」
『あぁ・・・』
映画と同じに、満足そうな仲畑さんの喘ぎが聞こえます。
先端からボクサーパンツに隠された場所までを、丹念に何度も・・・舌先と唇で拭ってゆくのです。
先端は舌先をくるくると回す様に、ごつごつとした血管は裏の筋は舌先で広げて全ての皮膚を拭う様に・・・。