望月の春の宵
久しぶりに連作のショート・ショートを2編アップさせていただきました。<蕩ける夜に>~<春色の空>は2月の丁度望月のころのお話です。
当初はバレンタインのお話だけを一編気まぐれにお届けしたつもりでした(笑)。
ところが、皆様から『メールのお返事は?』というコメントをたくさんいただいたので、コメントのお返事のようなつもりで2編目を書かせていただきました。
前触れもなくアップさせていただいたのに、沢山のコメントをいただきありがとうございました。
なかなかお返事もできず、この場を借りて御礼申し上げます。
本格復帰まではまだしばらく、ご猶予をいただけたらと・・・・わがままをお許しください♪
追記:皆様のコメントへのお返事はこの記事のコメント欄に移動させていただきました。
春色の空
「えっ、こんなに寒いの?」オペラピンクのピーコートで部屋を出たわたくしは、思わずまだ暖房の効いた部屋の中へと引き返してしまいました。
たしかに天気予報は最高気温は8度だと告げていました。
でも、高い天井寄りの飾り窓から見える優しい空の色は、もっと暖かい外気をイメージさせたのです。
コートの下は黒のベロアのワンピースでした。ボートネック風に開いたラウンドカラーとプリンセスラインのシンプルなデザイン。でも、起毛素材の暖かさがこの季節にぴったりの一枚です。
春らしい明るい色のキュートなコートを脱いで、わたくしはリバーシブル仕立ての軽いミンクを手にしたのです。
優しくて、女性らしくて、でも、媚びないこと。
昼のデートの装いのルールに合わせてミンクのコートをバックスキンの側を表にして羽織ってみました。
午前10時の待ち合わせ。
バレンタインの翌日に彼から来たメールにあったのは、今日のデートの約束でした。
お付き合いを始めた頃に、彼の週に一度の定休日が平日から日曜日に変わりわたしたちの逢瀬は夜に限定されておりました。
「お泊まりは無理でも、いつか一緒にお出かけがしてみたいわ。」
彼に抱きしめられ満ち足りたベッドの上で、そんな言葉をつぶやいたのは半年以上前のことでした。
美味しいチョコレートありがとう。
昨夜はあのチョコのせいかな、祥子の顔がちらついて寝不足になったよ(笑)。
ホワイト・デーには早いけど、今度の土曜日時間がとれないか?
東京駅の八重洲中央改札口に午前10時に待ち合わせよう。
どこへ行くかも、なにをするつもりなのかもそのメールには書かれていませんでした。でも、はじめてのお昼のデートがうれしくて「わかりました」とだけ返信したのです。
待ち合わせまでもうあまり時間がありません。
わたくしは足早に駅へと向かいました。
「行くよ。」
彼から手渡された切符を手に、言われるままに新幹線ホームへと向かいました。
ホームを導かれるままに進行方向へ。驚いたように見つめるわたくしに彼は悪戯っぽく「ちょっとだけの贅沢だよ。」と微笑むのです。
滑り込んで来た車両にそのまま押し込まれて、ひかり407号の二人掛けの席に腰を落ち着けたのです。
「どこへいくの?」
「内緒♪」
「切符は熱海までになってるけど。」
「し~っ♪」
土曜日の午前中の新幹線。なのにその車両にはビジネスマン風の方達しかおりません。
ふたりの話が周りに聞こえてしまいそうで、わたくしは彼の静止のままに黙り込むしかありませんでした。
膝に掛けたコートの下で、待ちかねたように彼の手がわたくしの右手を握りしめます。
「無理して休みを取らせた?」
「ふふふ ちょっとだけね。」
「ごめん。どうしても祥子と行きたくなってね。」
「どこに?」
「内緒だって言っただろう。ちょっと寝かせてくれ。祥子のせいで寝不足なんだ。」
熱海までの40分ほどの間、彼の肩に預けた頭の耳元に囁くように交された会話はこれだけでした。
いつしか彼は本当に軽い寝息を立てていたからです。
熱海からは踊子号に乗り換えて・・・
たどり着いたのは河津駅でした。
駅前は河津桜祭りのポスターや看板がにぎやかに飾られていました。
彼は躊躇なく駅前ロータリーのタクシーに乗り込みます。
「もしかして、河津桜を見せてくれるの?」
「内緒。運転手さん、近くて申し訳ないんですが、飯田さんの家に行ってもらえますか?」
ここまで来ても教えてくれません。それに飯田さんって誰?
「わかりました。」
運転手さんもその一言で車を走らせるのです。
駅前から続く桜並木は、二分咲きの風情です。わたしたちの車とは逆方向になるその路に多くの観光客が流れてゆくのが見えました。
???な顔をしているわたくしを余所に、人なつこい運転手さんは彼に話しかけはじめました。
「お客さん、詳しいですね。」
「いや、それほどでもないけどね。」
なんのこと??
「今年は雪のせいで遅れてるんですよ。飯田さん家のがやっぱり一番早いからね。」
桜じゃないの??
「そうですか。」
「ほら、着いたよ。」
「わぁ~」
車から降りたそこには、1本の大きな桜の樹。
バレンタインの今なのに・・・もう5分咲きほどになっていました。
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「祥子は桜が好きだって言ってたろう。今年一番最初の桜を一緒に見たくてね。でも、雪のせいで盛りはまだみたいだね。」
タクシーから降りた彼がわたくしの手を握りしめてそう話し始めました。
「満開じゃなくてもきれい。うれしいわ。」
「この木はね、河津桜の原木だって言われてるんだよ。一番古くて大きいんだろうね。いつも一番最初に満開になる。」
「前にも来た事があるの?」
誰と?っていう言葉は・・・とっさに飲み込みました。
「前の仕事を辞めて、いまの仕事に就く間少し遊んでたことがあって、その時にここの桜を見たんだ。びっくりした。最初はね、花には疎かったからへんな梅の花だなくらいにしか思ってなかったんだ。」
「梅と間違えたの?」
「ははは、恥ずかしながらね。で、ここでこうして見上げてたら、地元の人に今年最初の桜は綺麗だろうって声を掛けられてびっくりした。で、調べて、仕事で迷いが出るとこうしてこの桜に会いに来るんだ。」
わたくしに語りかけているのに彼の眼はじっと5分咲きのその桜を見つめていたのです。
「お仕事、大変?」
「いや、ちょっとね。」
あまり二人の時間を取る事もできない理由は・・・
絡めた指をわたくしは少し強く握り返したのです。
「ありがとう。いつも祥子にはわがままばかり言っている気がする。」
「ううん、そんなこと。それに戦う男の人にはそういう相手が必要なものよ。」
「ははは そうだね。」
風が・・・たった一本の河津桜の枝を揺らします。
「いつか、満開の桜を見に来ような。」
「ええ。」
「さ、旨い伊豆の魚でも食べに行くか。」
「他の桜は見なくていいの?桜祭りで、沢山の花を見られるんでしょう?」
「いいんだよ。俺にはこの桜があればいい。祥子と一緒だよ。」
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5分咲きの桜の向こうに透けて見える春色の空が、ほんのり色づいたように見えました。
蕩ける夜に
百貨店の催事場は足を踏み入れるのをためらうくらいの人ごみでした。<バレンタイン・フェア>
多分日本で・・いえ、このひと時きっと世界で一番、チョコレートと恋する女性が集まっている場所なのでしょう。
世に言う『義理チョコ』を十数個。
わたくしは、行きつけのフレンチレストランにオーダーしておいたのが正解だと確信しました。
出来るだけクオリティの高いものを少しだけ、個人で自宅に持ち帰っていただけるパッケージングでというのがわたくしのチョコレート選びの基準です。
それでもわざわざ一日限定100個のものをオーダーしたのは、『義理』の中に仄かな本命の相手が混じっていたせいかもしれません。
大人の恋・・・と言ってしまえば陳腐になってしまいそうな恋愛に、わたくしは片足を踏み入れかけておりました。
仲の良いボーイフレンド。極上の飲み仲間。気の合うお友達。
どれだけ一緒に居ても周囲の誰も絶対に<恋>と結びつける事のない恋愛は、この一年ほどの間、秘めやかに育まれておりました。
恋人になって初めてのバレンタイン。
<本命チョコ>を用意しようかと、実はこのひと月ずっと考えていたのです。
彼だけの特別なチョコレート。
職場の皆さんと同じチョコに添える、+αのプレゼント。
恋をしていても、どれだけのメールを交しても、なお伝えたい想いは日々溢れ他の人と違う<な・に・か>に形を変えようとしていました。
「いいんだよ。そんなものに気を使わなくても。」
雪の日の滑りそうな足許を言い訳に組んだ腕に、思わぬ力を込められて囁かれた言葉にわたくしは自分の中の女の愚かさに気づいたのです。
「もう祥子の告白は受けたつもりだけどな。それとも別の男に告白するためのチョコの相談かい?」
「そうね。」
「だろ♪」
溢れる恋を溢れるままに恋人に伝える、それがわたくしの恋でした。
でも、それが出来ない・・・する必要のない・・・してはいけない・・・大人の恋。
どんなに切ない恋でも、いまのわたくしはもう決して手放すことが出来なくなっていたのです。
バレンタインの前日。
オーダーしたチョコレートの詰め合わせを取りに行ったわたくしに、パティシエがウインクしながらこう告げたのです。
「たった一箱だけですが、秘密の媚薬入りのをご用意してあります。祥子様の恋が実りますように。」
2月14日の18:00。
そろそろ彼が仕事を終えて、わたくしからのチョコレートを手にする時間です。
いつも職場の男性全員に持ち帰ってもらえるように用意されるたくさんのチョコレートの中の一つを選んでいるころに違いありません。
媚薬入りのチョコレートは彼の手に落ちたのでしょうか。
それとも・・・
今夜のメールが楽しみです。
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