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唐紅 2

車は湾岸線を抜けレインボーブリッジへ、刻々と都心を離れてゆきます。
「それで、今夜はどちらにご招待してくださるの?」 
これ以上取り乱してもみじめなだけです。わたくしは覚悟を決めました。
「箱根にね、素敵な宿があるのですよ。祥子さんはおつかれのようですから温泉でゆっくり楽しみましょう」 
三ツ沢バイパスを藤沢に向けて車は移動します。
 
「他の方は?」 
すべすべとした手の男性と優しい声の男性の顔を思い浮かべずにはいられませんでした。
「今夜はわたしたちだけです。彼らは仕事を抜けられなくてね、どちらかがお気に入りでしたか?」 
わたくしの横顔を見つめながらからかうようにそういいます。
「いいえ、それではふたりきり・・・ですのね」 
男性の嗜好を知っているわたくしは、今夜の成り行きにわずかにおののきながらもふたりきりの時間ならと、少しほっとしておりました。
「ふたりきり? わたしたちだけと言ったでしょう。今夜は彼にも想いを遂げさせてやってください」 
バックミラー越しに運転手がわたくしに目礼をいたします。
「この方もなんですか・・・」 
あの日も今日も慇懃無礼にわたくしに接しつづける運転手と、関係を持たなくてはならないなんて・・・
 
「彼は優秀な男なんです、いろいろな意味でね。僕の仕事を教えるために運転手をしてもらっているだけなんですよ」 
わたくしの偏見をあざ笑うかのように男性は語りはじめました。
「あの日あなたをお送りしてから、彼は何度もあなたに連絡ととれないのかと僕に聞いてきたんですよ」 
ふふふ 思い出し笑いさえ漏らすのです。
「僕たちだけは祥子さんとの連絡方法を知っているのだと思っていたみたいでね」
「申し訳ございません」 
車が動きだしてからはじめて運転手の声を聞くことができました。
「私がわがままを申したのです。祥子様がどうしてもお嫌だとおっしゃるなら私は控えておりますので」 
誠実で抑制の効いたゼニアのスーツの男性よりも幾分若い声は、とても恐縮して聞こえました。
「こうしてまたお逢い出来ただけで満足です。どうか箱根の夜をゆったりとお楽しみください」 
わたくしは運転手の育ちの良さをうかがわせる物言いに心を動かされていました。
 
車は西湘バイパスを過ぎ湯本へ向かう片側一車線の道を走ります。 
 
「ごめんなさい。そういうことではないのよ」 
時折力の籠るバックミラー越しの視線に、はじめて目を合わせて答えました。
「わかりました。仰るとおりにしましょう」 
運転手の背に微笑みかけるようにして、わたくしは男性に答えました。
「やっぱり祥子さんは思った通りの大人の女性だ。今夜は後悔はさせませんから、楽しみにしてください」 
そう言うと運転手の目があることを承知の上でわたくしの肩を引き寄せるのです。
「お約束のランジェリーもご用意していますからね」 
ストレートのロングヘアに顔を埋めるようにして、わたくしの耳元にこっそりと囁くのです。
後部座席のわたくしたちに対する運転手の強烈な意識を感じて わたくしはグレーのゼニアのスーツの肩を押し戻しました。

 
都心を出てから約2時間。
窓の外の空気は車内の男性たちの熱い思いとは反対に、しんと冷えはじめていました。
湯本から七曲がりへ向かう道を右へ下ったところに、その瀟酒な宿はありました。
贅沢な平屋づくりの建物は、春には花が見事だろうと思わせる桜の樹々の間に、離れのように点在していました。
4組も泊まれば満室になってしまうかのような贅沢なつくりの宿は、いまは紅く色づく紅葉の桜葉に彩られていたのです。
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