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外伝2/レンジローバーの帰り道 4

エンジンを掛けたままにしていた車は、あたたかだった。
羽織ることもしなかったコートも荷物と一緒に積む。
「鍵をかけてくる。助手席は俺が座るからな。」
別荘の扉に向かった石塚さんを置いて、私は美貴とリアシートに収まる。
「門外に車を出してくれ。」
「はい。」
運転席からは、少し明るい声の結城くんの返事がした。バックから玄関先に入れていたレンジローバーを、別荘の敷地外へと出す。

ガチャン・・・門扉の鍵を掛ける音がした。
「寒いな・・」 
バッン・・・ 石塚さんが肩をすくめるように助手席に乗り込んだ。
「祥子さんのいないここには用はない。さっさと東京に戻ろう。」
「まったく、身勝手ですね。」
美貴が呆れた様に口を開いた。石塚さんが車内に来て、なんとなく結城くんの持つ張りつめた空気が緩んだ感じがあったからだろう。
「出します。」
結城くんの口から、往年のロボットアニメを彷彿とさせるような台詞が出る。
ララー・スン少尉だっけ・・・。はは、こんなこと言おうもんならまた山崎はおたくだと美貴にバカにされそうだ。
「ああ、頼むよ。」
まるで自分の部下みたいに、石塚さんが答える。
スタッドレスが上がりはじめた気温に緩んだ氷の道を軋みながら動き始めた。

よかった、<祥子さん>はいないんだ。往きみたいな、あんないやらしいこと・・・起きないんだ。よかった。
「ホテルのお正月は満喫できたかな?」
3日間。こんな場所まで連れて来ていながら、ほとんど結城くんのことはひとりぼっちで放置しておいたようなものだ。
往きだって、私達は運転席の後ろにカーテンを閉めてリアシートに祥子さんと閉じこもっていたようなものだった。いくら仕事とはいえ、彼女も淋しかっただろう。
「はい。いいお部屋をご用意いただいて、ありがとうございました。」
「スキーは得意なんだろう。長野の出身だっけ?」
「はい。茅野です。得意というほどではないですが、一応滑れます。」
「あそこのゲレンデは面白かったでしょう。雪国育ちなら少し距離が短くて物足りなかったかな?」
石塚さんだけでなく、美貴までもが彼女に気を遣ってくれていた。
「そんなことは、ないです。表万座までのシャトルバスも出ていたので、あちらでも滑らせてもらいました。」
「そうか。表万座の斜面はスピードが乗るからな。腕があるなら楽しかったろう。ナンパはされなかったのか?」
ああ、よかった。彼女なりに楽しんでくれていたんだ。
と、思った途端に・・・不埒な質問は、勿論石塚さんだ。
「そんなこと・・ないです。」
「ほんとうにそうか?せっかくどんな男を連れ込んでも困らない様にダブルの部屋にしといたんだぞ。」
「えっ・・」
結城くんが固まる。一瞬バックミラーの彼女が私に助けを求める視線を投げたような気がした。

外伝2/レンジローバーの帰り道 5

どういうわけか、今時の女の子にしては彼女はこの手の話には奥手だった。運転手にして1年経つが、彼女から<男>の匂いがしたことはまだない。
「もう石塚さんたら、冗談が過ぎますよ。結城くんが困ってるじゃないですか。まだ山道が続くんですから、石塚さんの新車で事故ってもしりませんよ。」
「そうか?こんなにかわいい子が1人で滑っていたら、俺なら声かけるぞ。」
たしかに、長身の祥子さんと違って小柄な彼女が1人でゲレンデで転んでいたりしたら・・・つい助けにいってしまうかもしれない。
「声を掛けたのがこんなおじさんなら無視しますよね、結城さん。」
美貴が助け船を出すなんて、珍しいことだ。
「・・・どう答えていいか、わかりません。」
「ははは、まいったな。結城くんに振られちゃったよ。」
「そんな・・・」
困惑しきった彼女の声を、石塚さんは笑い飛ばしてくれた。これで、この話は終わりだ。

「食事は、大丈夫だったかな。飽きたりしなかったかい。」
「はい。美味しかったです。」
けなげに答えるが、旅先の1人の食事が愉快なわけはない。
「1人にさせて済まなかったね。ありがとう。」
「こうして帰りは3人のちょい悪おやじが一緒にいるから機嫌をなおしてくれ。」
「そうだね。今日は一緒に夕食でもどうだい。結城さんの好きなものをごちそうするよ。」
「いいね。3が日だがいい店があるかな。」
「なにが食べたい?結城くん」
よかった。これで少しはひとりぼっちのお正月をさせた罪滅ぼしができるというものだ。
「ありがとうございます。あの、でも専務・・ほんとうにご一緒していいんですか?」
困惑した声だ。望月くんと違って彼女は単なる運転手だ。このメンバーを運転する車に乗せることはあっても、食事や商談の席に同席させたことは一度もない。
日頃の周囲の評判を聞く限り、一緒に食事をして私が恥をかくようなことはしないだろう。
「ああ、いいよ。今夜は一緒に夕飯を食べよう。」
「うれしい。ありがとうございます。」
やっと、本当に声が明るくなった。こうして会話をすることで、やっと気持ちが解れたんだろうか。
「あの・・・中華でもいいですか?ホテルにちゃんとした中華レストランはあったんですが1人じゃ入れなくて。」
「いいね。美貴、どこかいい店がないか?」
「そうだな。タワーホテルの中華ならなんとかなるだろう。あとで高速のSAで予約の電話を入れて置こう。」
「あそこの北京料理は旨いからな。北京ダックとフカヒレの煮付けをオーダーしておいてくれ。」
「はい、はい。もう、石塚さんのためじゃないんだけどおかしいなぁ。」
ははははは・・・・。
車内が笑いに包まれるころには、もう高速のインターが眼の前だった。

専務はあたしのことなんて忘れてるのかと思ってた。こんなに・・・石塚様や美貴様まで気を遣っていただけるなんて、淋しかったけど来てよかった。
それに一緒にお食事。いままで沢山あたしの運転する車にこの方達には乗っていただいたけど、いつも目的地までお届けするだけ。それが、お食事に誘ってもらえるなんて。これからも時々こんなことがあるかも?
あぁ、ホテルのレストランに専務に連れて行ってもらえるんならもっとお洒落なカッコしてくるんだった。

外伝2/レンジローバーの帰り道 6

車内の音楽は、助手席に乗り込んだ石さんがカチャカチャと操作をして、クイーンのグレイテスト・ヒッツのナンバーに変わっている。勢いのある曲調は結城くんのドライビングにはぴったりだった。
往きに掛かっていたジャズだったら、私の左にいた祥子さんの太ももの感触を思い出してしまっただろう。
「いまは、どのあたりかな?」
「もう、関越は走っているだろう。高坂あたりかもな。」
だれも主語を口にしないが、祥子さんの乗ったセルシオのことだ。
「だとしたら望月くんは相当飛ばしてるね。」
「たぶん、ね。せっかく祥子さんとふたりきりのドライブなのに、どこかのSAで僕たちに追いつかれちゃ台無しだからね。」
「たしかになぁ。もし、セルシオに追いついたらあっちの車に絶対移っちゃうもんな。」
「石塚さん。」
この人は、美貴と私の3人でいるときは本当に素のままだ。あまりに明け透けな言葉に結城くんが気を悪くするんじゃないかと気になって嗜めるように名前を呼んでしまった。
「ああ、運転手のせいじゃないから気にしないでくれ、な。」
ポン、と結城くんの肩を叩く。
「はぁ。」
結城くんの返事に先ほどまでの明るさがない。そんなに、望月くんと比較されることを彼女は意識してるんだろうか。

「だめです。あの車は僕のものですからね。往きだって、二人に祥子さんを譲ったんです。さんざん堪能したんでしょう、2人して祥子さんのこと。SAでセルシオを捕まえることが出来たら今度は僕が祥子さんと帰る番です。」
「もう、美貴まで。」
「山崎だって本音はそうだろう。昨日一晩英気を養ったんだ。祥子さんと二人きりになれるチャンスを逃す訳ないだろ。」
「そりゃ、そうですけど。」
望月くんに祥子さんを委ねている間、彼の胸に甘える彼女を想像するだけで・・・あんなに彼女に吐出したあとだというのに・・・私は幾度も軽く昂った。さすがに石塚さんと同室だったから、自慰することまではしなかったがここに祥子さんがいれば誰にも渡したくないというのが本音だ。
「やっぱり、望月くん1人をセルシオで帰らせて、この車でみんなで帰れば良かったんだよ。」
「リアシートに4人は座れませんよ。」
「いいさ、祥子さんがそこにいて彼女の香りの空気が吸えるだけで幸せだからな、俺は。」
まぜっかえす美貴に、石塚さんが真面目な風を装って切り返す。
「ははは・・・ま、紳士的でいられるのも我慢できなくなるまでだけどな。いざとなれば、そこいらのホテルに入ってもらえばいいだけだしな。」

クッ・・・ ブレーキが踏まれる。
いつもみたいに仕事帰りの夜の車の中でお酒が入ってから交わされる猥談とは違う。普段なら結城くんの前では紳士的でいてくれるこの二人も、まだ祥子さんの余韻に酔っているのだろう、セックスを露に感じさせる会話が結城くんをびっくりさせてしまったのかと思った。
が、どうやら関越道に合流して間もなく渋滞につかまったらしい。
年始のこの時期・・・しかたないことだろう。
「この先で事故渋滞のようです。一度上里のSAで休憩してもいいでしょうか?」
「ああ、任せるよ。君も昼食が取りたいだろうからね、上里で停まろう。いいだろう?」
結城くんの提案に、石塚さんも美貴も首を縦に振った。
ウインカーを左に上げて、結城くんは混雑している上里SAに車を入れた。

外伝2/レンジローバーの帰り道 7

たしかにお腹も空いていた。朝食は8時だったから。でも、あのまま専務が<祥子さん>に夢中になっている話を聞いていたくなかった。このまま話がエスカレートするのなんて眼に見えていた。往きの車の中であったことみたいに・・・。車を止めて降りなければ話を止めることなんてできなかったろう。
渋滞がはじまって、いつもなら凄く嫌なのに・・・今日だけはほっとした。渋滞を理由に車を止めることができたから。

「つかれたろう。ずっと運転してたんだから。30分くらい休もうか。」
「ありがとうございます。食事をさせていただきます。」
「私達もお茶でもしてるよ。」
「はい。わかりました。」
石塚さんと、美貴はもうトイレに向かっていた。私が車を降りたのを確認して結城くんが鍵をロックする。
「私達は朝食が遅かったからお茶くらいだが、一緒に来るかい?」
他の二人から随分離れたのでちょっと元気がなくなったような彼女にそう声を掛けてみた。
「いいえ、お話のお邪魔になってはいけませんから。それに簡単なもので済ませます。お夕食を美味しくいただきたいので。」
「わかった。ゆっくりしておいで。」
レストハウスへ向かう彼女の後ろ姿を見送って、私もまずはトイレにいく。望月くんのいれるお茶は美味しいが、つい・・・飲み過ぎてしまう。

「結城くんはどうした?」
レストハウスのテーブルに合流した私に、石塚さんはまずそう口にした。
「軽く食事をして車で待ってるそうですよ。夕食が楽しみだからひとりで軽く食べるって言ってました。予約はとれたのか?美貴。」
「ああ、待ってますと支配人が言っていたよ。ただ渋滞がこんなだから、時間はまたあらためて連絡するということにした。」
「ありがとう、気を遣わせてわるかった。」
「いいんだよ。ま、これくらいは当たり前だよ。それに、祥子さんと別れたあと、1人で夕食なんて味気ないことはしたくないしね。」
「良いこと言うな。」
のんびりとした口調で、レストハウスの窓から最近SAに増えた小さな植栽スペースをなんとはなしに眺めてにやついている。
往路、石塚さんと祥子さんと一緒にレンジローバーで来た私には、彼の表情の訳が手に取るようにわかった。
「石塚さん。あれは、ここのサービスエリアじゃないですよ。」
「わかってるよ。いいじゃないか、この手の植栽の設計は似たり寄ったりだから、イメージするには丁度いいんだ。」
即座にそう返しながらも、まだにやにや笑いは終わらない。
「なにがあったんだい?石塚さんがそんな顔をするってことは、祥子さんがらみなんでしょう。」
1人だけ、望月くんの運転するセルシオで先行させられた美貴は、実はこの3日間ずっと往路のことを聞きたくてうずうずしていたらしい。ただ、別荘に到着した時の祥子さんの様子を望月くんから聞いて、さすがに彼女の前で口にするのはエチケットとして控えて来たということなのだろう。

「いいか?山崎。」
石塚さんは石塚さんで、美貴に自慢したくて仕方がないのだろう。
せっかく他の人には見せないこと・・・を条件に祥子さんが許してくれた写真を見せびらかしたいらしい。

外伝2/レンジローバーの帰り道 8

「他言無用ですよ。」
祥子さんから、約束を守らない男だとは思われたくなかった。美貴にはきちんと口止めしておかなくてはならない。
「わかってるよ。望月にも内緒にするさ。それならいいだろう。」
「ほら、これだよ。」
私が頷いたのを確認して、石塚さんはご自分の携帯を美貴に差し出した。
2インチの小さな画面には、黒革のロングブーツにパンティストッキングを直履きしてシャドーフォックスのコートを羽織っただけの祥子さんと石塚さんが寄り添って映っているはずだ。
「また、記念写真ですか?」
一見は、美貴と別れてホテルを出たときの彼女の姿と何も変わらない。ただ、良く見るとコートの襟元から覗くはずのインナーは祥子さんの白い・・・Gカップの乳房へつづく素肌に変わり、コートからほんの少し出ているはずのスカートの裾が全く見えてはいないのだから。
そして一番の特徴は、祥子さんの羞恥に染まった匂い立つような表情と、不自然に掻き寄せられた、コートの前・・・なのがわかるはずだ。
「ただの記念写真じゃない。なぁ、山崎。」
「ええ、そうですね。」
「これを見ればわかるな。」
美貴の手元から携帯を受け取り2・3キーを操作する。
そうして渡した写真は、私があえて1枚だけ撮ったこの時の祥子さんの表情のアップに違いない。

Fur02.jpg

「なにをしたんですか?」
美貴の声が少しだけ上ずった。気付いたらしい。
あのアップの写真は、私が外した毛皮のコートのスナップのせいで祥子さんの胸の谷間が少し見えているはずだから。
「わかったか。」
「ここは、どこなんです?」
「甘楽のパーキングエリアだよ。」
「そんなところで、もう祥子さんに・・・。」
お待たせいたしました 珈琲を届けてくれたウエイトレスを気にして美貴は言葉を切った。
その表情には、その場に居られなかった悔しさと写真の祥子さんの表情に掻き立てられた淫情がただよっていた。きっと、ホテルのメインダイニングで美貴の携帯に閉じ込められた赤い長襦袢の祥子さんの写真を見せられたときの私も、同じような表情をしていたことだろう。

石塚さんは気が済んだのだろうか。
届けられた珈琲を飲んでちょっと顔を顰めた。
「望月くんといると、舌が肥えてこまる。」
「旨いでしょう、望月の煎れる珈琲は。」
「ああ、望月くんが女で祥子さんに出逢ってなかったら、間違いなく女房にしたいタイプだな。」
「よかったです。望月が女性秘書じゃなくて。石塚さんの毒牙にかからなくて済む。あんな優秀な秘書はなかなかいないんですから、手を出さないでくださいよ。」
「美貴が羨ましいよ。でも、そろそろなんだろう、望月くんに会社の1つも任せるのは。」
美貴がただ、望月くんを都合のいい優秀な秘書として使っている訳ではないことを私と石塚さんだけは聞かされていた。