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外伝2/レンジローバーの帰り道 9

望月くんの実家は2つ違いの兄が継いでいる。だから彼のことは単なる運転手としてではなく、美貴が後継者の1人として期待して側に置いて育てていたのだ。

「そうだな。来年か再来年にはと思ってるんだが、望月の後釜がいなくて困っている。」
「たしかにな。あれだけの男・・・そういないだろうしな。」
「美貴のところの島田さんじゃだめなのか?」
美貴好みの背の高い美人秘書だった。頭が切れる・・・切れ過ぎるほどに・・・。
「だめだね。もう一皮むければいいが、いまはまだハリネズミみたいなもんだ。まだ懐がないしね。ことあるごとにカリカリされたら、こっちが迷惑だ。」
「幾つなんだっけ?」
「30かな31かな。もういい加減丸くなってもいいころなんだけどね。あれじゃ、恋人が出来ないのも当たり前だな。」
相変わらず美貴は手厳しい。昔はこれほどじゃなかったと思うんだが、自分にも他人にも厳しい上に女性に対する眼は一層辛辣だ。
「望月くんみたいに共犯者にしなきゃいいんだよ。」
私はそう言った。うちの結城くんのように接すればいいだけだ。
「それくらいなら、自分で運転をするよ。運転手を兼務する秘書だけは男の方が良い。一対一で過ごさなきゃならない車内で、ずっと女に気をつかうなんていやだね。」
「また、随分と我がままばかり言うじゃないか。」
「石塚さんに言われたくありません。だから石塚さんだって社用車を自分で運転してるんでしょう。」
「同じ女でも祥子さんみたいに酸いも甘いも噛み分けたタイプなら、仕事のパートナーになれるんだが。普通のコじゃ、確かに単なる部下・・・にしかならないな。」
「あぁ、たしかにね。っていうか、石塚さんは秘書として祥子さんが欲しい訳じゃないでしょう。」
「もちろん。でもな、彼女なら秘書としてもいい仕事しそうだと思うんだよ。」
まったく、石塚さんの女性を見る目は正確で困る。
多分に彼女の能力は石塚さんの言う通りなのだろう。
祥子さんが秘書・・・そんなことになったら、冷静に仕事がこなせる自信が私にはない。
「いいよな。あんな女性が秘書ならどんな仕事でも出来るね。」
そう言い切る石塚さんに、私と美貴は疑わしそうな視線を向けた。
無言の視線に気づいたのだろう、石塚さんは慌てて一言を付け加える。
「言っておくが、真面目な秘書のことだぞ。秘書って言う名の愛人とかじゃないからな。」
ははは・・・ 言わずもがなの注釈に、私達は思わず笑い声を上げてしまった。

「そうですね。さて、そろそろ30分ですね。結城くんも待っています。行きますか。」
通りすがりに高速道路の道路状況をチェックする。さきほどの渋滞は一過性のものだったようだ。もう随分収まっているようだ。
これなら、予定通り美味しい中華にもありつけるだろう。
結城くんの休憩の意見を取り入れて正解だったな。
きっと彼女のことだ、もう1人で車に居るだろう。せめてこの帰りの1日くらい・・・結城くんに寂しい想いはさせないでおきたいものだ。

外伝2/レンジローバーの帰り道 10

あと2分で30分だ。3人そろって車に向かっていらっしゃる姿が眼の前のバンの間から透けて見える。あの方達は時間には正確だ。戻ってくる時間が遅れたのは、この間<祥子さん>が一緒だったときだけだ。
渋滞も解消したし、これで順調に東京に戻れるだろう。

「待たせたかな?」
「いいえ、ちょうどお時間です。」
「元旦の日に迎えに来てくれたホテルの中華に予約をしたから、あそこへ戻ってください。」
リアシートの左側に座った美貴がドアを閉めるなり彼女にそう伝える。
「わかりました。ありがとうございます。」
「さ、北京ダックがまっているぞ、東京に帰ろう。」
「車出します。」
関越自動車道は渋滞の影響だろうか、車の量が時折増えるものの、のろのろ運転になることもなく順調に進んだ。
この調子なら、結城くんもストレスなく運転できるだろう。

BGMは今度はクラプトンだ。石塚さんは、ファンらしい。来日するたびに必ずライブには顔を出していると聞いたことがある。古き・良き・上質なロックサウンド。石塚さんが好きな理由はこんなところだろう。
美貴も普段セルシオに流しているのは室内管弦楽や四重奏、フルート奏者、バイオリン奏者などの演奏するクラシックだ。考え事をする時に、一番発想が湧くのだと前に聞かせてくれたことがある。プライベートで出掛ける時でも、クラシックをアレンジしたものを流していたから本当に好きなのが良く解る。そうそう、美貴がひとつだけ苦手な音楽ジャンルがあった。それはフォークソングだ。ボブ・ディランやピーター・ポール&マリーやサイモン&ガーファンクルまで聞きたくないと言ったことがある。どうも別れた奥さんの好みだったようだ。
「ベッドでこれを聞かされてもその気にはなれないね。」と、いつものバーの隣でラフロイグを舐めながら苦い顔をしていたのを今でも覚えている。
私は・・・といえば、実は意外と俗っぽい。一番好きなのは、ミュージカルのサウンドトラック・・・Sirアンドリュー・ロイド・ウェーバーは劇団四季がジーザース・クライスト・スーパースターを初演した時からのファンだ。J-POPの実力のある歌手・・・最近では平原綾香のCDなんかを社用車では掛けてもらうことも多い。とはいっても、別に流行に敏感なわけではなく、うちの会社のCMソングとして採用を検討したりといった必要に迫られた理由で聞きはじめることがほとんどだ。時には、ブランドのチーフデザイナーから「これを聞いてください」と押し付けられることもある。
まぁ、イマドキの曲を掛けている分には運転手をしてくれている結城くんも楽しんでくれるだろうからいいかと、あまり食わず嫌いはしないようにしていた。

「そういえば、カメラはどうした?」
流れる景色と快適なBGMにしばし止まっていた会話を再開させたのは、やっぱり石さんだ。
「カメラって?」
「ほら、望月くんが撮ってくれていただろう。あれだよ。」
「彼に持たせましたよ。2人の分もプリントアウトしなくちゃいけませんからね。次に逢う時までには、全部用意しておきますよ。」
「なんだ、そうか。そうそう・・プリントアウトだけじゃなくてDVDにも落としてもらってくれないか。自宅のPCの壁紙にするんだ。」
「はい・はい、もうなにを言い出すかと思ったら。石塚さんの自宅でうかつに誰かにPCを開けられたりしないでくださいね。それに、Winnyなんてインストールしてないでしょうね。マスコミを喜ばせるだけですよ。」
「わかってるって。DVDはいいから、早く写真を用意するように望月君に頼んでおいてくれ。」
私達にはそれぞれに、軽んじることの出来ない社会的な地位もあった。

外伝2/レンジローバーの帰り道 11

4人が写っている淫媚なシーンの写真が情報漏洩でもしたら格好のマスコミの餌食になる。
仮に私だったら、祥子さんと結婚をして責任を取ることにしても・・・『女性顧客へのイメージダウンになる』と下手をすれば取締役会から退陣要求を突きつけられるだろう。石塚さんも美貴も・・そして望月くんも、社会的信用を取り戻すためには祥子さんとの<正式な結婚>という手続きを周囲から要求される。でも、祥子さんは1人しかいないのだ。
美貴の言う通りだ。
プリントアウトした数枚の写真を秘かにプライベートに隠し持っているというのが・・・極めてアナログだがいまの時代一番安全なのだ。
それよりもいいのは、記憶だけに留めることだ。
が、祥子さんとのあの時間が記録に残っていると解っていながら手元に置かないなんて考えられない。それぞれが分散して持つことで危険性が高まるというのであれば、望月くんを買収しても自分ひとりのものにしたいくらいだ。
あれさえあれば、多忙でなかなか祥子さんに逢えない日が続いても・・・耐えられるだろう。つまらない相手で気持ちと身体を紛らわせる必要もなくなる。それに、まだ腰のあたりに甘く漂っている気怠さを思い出すよすがにもなる。
「わかりました。明日にでも、いつものバーに顔を出せる時間をメールください。それに合わせて届けますから。」
「わかった。」
「石塚さんの予定が決まったら教えてください。私は合わせますよ。」
きっと、一両日中にあのバーに集まることになるんだろう。
そこに祥子さんも来れたらいいとは思うが・・・それは望み過ぎというものだ。
カメラ・・・写真。往きの車の中でも時々専務や石塚様が口にしてた気がする。マスコミが喜ぶ写真って・・・まさか・・・。
でも、車の中でもあの祥子さんという人は、あたしがいても平気で専務にも石塚様にもいやらしいことをさせる人だった。わざわざ望月さんをカメラマンにして、きっと専務やこの方達とのいやらしい写真を撮らせたんだ。
不潔だ。あたしなら考えられない。同時に付き合ってもいない複数の男の人とエッチすることも、そんな写真を撮らせることも。
いったいどんな人なんだろう。まさか・・・そういうコト専門の売春婦なの?あの人って。


「着物姿の祥子さん、綺麗だったな。望月くんの着付けの腕もあるんだろうが、芸妓でもああはいかないぞ。」
「石塚さんは、眼が肥えてますからね。」
カメラから着物姿・・・石塚さんの頭の中で繰り広げられているシーンが想像できる。
望月くんの実家のことも、彼が学生時代に祇園で男衆の仕事をしたことがあることも知っているからこそ実感が籠った感想だ。
美貴とも祇園のお茶屋で知り合ったと聞いている。私は、美貴から紹介されて親しくなった。石塚さんは豪奢に遊ぶというよりは、しっとりと粋に遊ぶタイプらしい。地方のおねえさんから三味線を借りて、小唄のひとつも口にするというんだから大したものだ。
「秋に箱根で初めて着物姿を見たときはびっくりしました。普段のスタイリッシュな感じがすっと影を顰めて、代わりにはんなりとした艶が出るんです。今回の着物は白地でしたけれど、赤い着物もとても似合いましたよ。」
「それは解る気がするね。祥子さんには、きっぱりとした色が似合う。マリエの白もそうだが、濁りのない色は色自体が強いからね。なまじの個性なんかじゃ太刀打ちできない。それが、祥子さんにはしっくりくる。いつも黒を着ているからきっと似合うとは思っていたけど、想像以上でびっくりしましたよ。」

赤の着物。望月くんなら緋色の長襦袢を用意するだろう。祥子さんのあの白い肌と恥じらいに朱をはいたような表情に緋の襦袢・・・携帯の小さな写真なんかじゃなくて・・・この眼で見てみたい。

外伝2/レンジローバーの帰り道 12

いやいや、まったく私も石塚さんに毒されたかな。
別に祥子さんとセックスやアブノーマルなプレイをするだけが私の望みではない。確かに彼女と肌をあわせると、信じられないほど男になれる。でも、そんな快楽のための相手として彼女が欲しい訳じゃない。
あのマリエだってあんなプレイに使うために開発したわけじゃない。私との結婚式の時にノートルダム寺院で彼女に着せることをイメージして、デザイン開発させたブランドのものなんだ。
どうしてもこのメンバーで逢うと競う様に彼女と肌をあわせたくなってしまう。きっとそれは同性の眼からみても見事だと思うこの2人に(いや、本心では若い望月くんのことだって、恐れている。いつ祥子さんの気持ちが彼の純情に傾くか・・・と)渡したくないと思うからなのだろう。ほかの人たちに祥子さんを渡さない一番簡単な方法は、抱きしめて離さないことだから・・・。
けれど、できたらゆっくりと祥子さんと話す時間がほしい。もっと、彼女自身のことが知りたい。何を喜び、何を好み、何を悲しみ、何に怒る人なのか・・・どんなことに、心からの微笑みを見せてくれるのか。

ああ、私は祥子さんに<恋>しているんだ。

「陶器のことや、お酒のこと。たまたま好みが一緒だとしたら嬉しいが、そうでなければ彼女の中にどれだけの教養が詰まっているのか想像もつかないね。」
「ええ。」
「・・・はい。」
どれだけの間、私は自分の心の中の声に囚われていたのだろう。
石塚さんの言葉に私はほんの少し遅れて間の抜けた返事をしたようだ。
「箱根では、宿の庭木の名前を歌う様にして教えてくれましたよ。」
確かにそうだ。祥子さんと居て、話題に困ることはない。私達が手を尽くして準備したものは、必ず彼女には解るようだった。
「女性だから婦人服に詳しいとは限りませんしね。毛皮にしてもドレスにしてもちゃんと価値と良さを解って着こなしてくれる人はそうは居ません。」
「そうだな。また、それが似合う。祥子さんに持たせると、華がありすぎるほどの陶あんの器がしっとりと落ち着いて見える。大抵の場合には『馬子にも衣装』で持つ人間が位負けしてしまうような器なんだがな。」
「ええ、望月もそう言っていましたよ。石塚さんから注文を受けた時にはなんて華美な器をこんなに揃えるんだって。でも、祥子さんをお迎えする時用のものだと言ったら黙ってあれだけのものを手に入れてきたんです。」
「望月くんもなかなかやるな。」
「石塚さんがそう言っていたと、聞かせてやりますよ。きっと喜ぶ。」
「いやだめだ。絶対言うなよ。祥子さんと2人きりでドライブをしている奴を喜ばせることなんてない。」
わははは・・・ 石塚さんの言葉に思わず爆笑してしまう。
「たしかに・・・ははは・・そうですね。美貴、絶対に言うなよ。」
「はは・・・解ったよ。」
ルームミラーの中の結城くんの眼が、不思議そうにこちらを見ていた。

たしかに、突然の私達の笑いは彼女にはなにがなんだかわからないことばかりだろう。
笑いの衝動が収まったところで、『心配ないよ』という気持ちを込めて結城くんの眼を見つめて微笑んでみせた。運転手にして1年のうちに出来た結城くんとの無言のコミュニケーションだ。

外伝2/レンジローバーの帰り道 13

結城くんは女性にしてはとても寡黙だ。
普段運転手として接しているときも、必要以上のことは口にしない。
私の指示にも短く適切な返事を返し、解らないときは率直に質問する・・・部下としては大変付き合いやすいタイプの女性だと思う。
前の佐藤さんは父の代からの運転手だったから、都内だけでなく山崎家に関する行き先はほとんど熟知していてくれた。定年で辞めることになった彼の後を引き継いだ彼女の為に、私は社用車にカーナビを取り付けたのだ。
メカに強い(なんといっても結城くんはそもそもCADオペレーターなんだから)彼女は、あっという間にナビを使いこなして大抵の業務は問題なく済ませるようになった。
ただし不測の事故が起きたり、同乗者の都合で当初の予定が変わりそうな時、結城くんは言葉にする前にもの言いたげな眼で私を見つめることに気がついた。
もちろん、ちゃんと言葉にして確認すべきことは結城くんも口にする。が、言葉にするまでもなくYES・NOで答えられるような時、私はできるだけ今みたいにして彼女に答えてあげるようにしていた。

「美貴、いったい祥子さんはどんな経歴の人なんだ。美貴のことだから調べているんだろう?」
えっ・・・それは初耳だった。ただ、望月くんは祥子さんの自宅を知っている。とすれば、美貴の持つ調査能力をすれば彼女の素性を調べることはそう難しいことではないだろう。
「いまは、フリーのグラフィック・デザイナーをしているそうです。アーティストというよりはクリエイターでしょうか。大手の企業をいくつかクライアントに持ってさまざまな分野でデザイン提案をしているそうです。」
「デザイナーなのか。どこの美大を出てる?」
グラフィックなら美大だろう。彼女のセンスなら多摩美か・・それとも。
「出身は美大じゃない。社会学が専門だそうだ。」
「社会学ぅ?また、畑違いだな。」
「石塚さんのところみたいに、有資格者の専門家集団だとそんな印象なんでしょうね。僕も不思議に思ったんですが、どうもデザインは独学のようです。祥子さんはもとは百貨店に勤めていたらしいです。そこのデザインチームでバイヤーをしていたという経歴が残ってますから実務で磨かれたものでしょう。」
「それで、フリーでやっているのか。すごいですね。」
うちにも、デザイナーという肩書きを持つスタッフは20名ほどいる。どのスタッフもデザイン専門学校か変わり種でも美大を出ている。全く畑違いのところの出身で、デザインで身を立てることができるなんて・・・生来もっているセンスが半端じゃないということだ。
「ああ、普通なら考えられないが、そうらしい。ジャンルを問わず、様々なもののデザインやプランニングを手がけた実績があるようですよ。」
「結婚はしてないんだろう。」
石塚さんはずばっと切り込んでくる。それは私も気になったことだ。
「いまは、してませんね。離婚経験があるようです。」
「あの女性を妻にして、手放す男がいるなんて信じられないな。何年結婚してた?」
「16年だそうです。22で結婚して38で離婚。以来独身で一人暮らし・・・という報告が来ています。」
「22の祥子さん。可愛かったでしょうね。」