初雪 47
「あぁ綺麗です。祥子さん」山崎さんの声と共に、着物姿の3人の男性が暖炉の前のソファーから立ち上がりました。お三方とも大島のアンサンブルをお召しでした。
「着物姿がいいと美貴から聞いていましたが、想像以上ですね」
がっしりとした体躯にこっくりとした渋い茶が、石塚さんにとてもお似合いでした。
「祥子さんの白い肌には濃い色の着物がいいと思ってましたが、こんな白地の着物もいいですね」
美貴さんはいつもお召しになっているスーツと同じ、深いグレーのお着物でした。
「昼間のカジュアルな姿とは格段の違いです。普段から着物を着る機会があるのですか?」
山崎さんは藍を思わせる濃い紺色です。
「いえ、普段というほど頻繁にではありませんの。お茶席の時と、たまにお芝居の時とくらいでしょうか」
「やはりお茶をなさっているのですね。日舞も?」
「いいえ日舞なんて、そんな嗜みはありません。歌舞伎を観せていただくくらいです」
それほど着物の着こなしに自信があるわけではありません。望月さんが用意してくださった上質な絹がしっとりと肌になじんでいる分・・・そう見えたのでしょう。
美貴さんをはじめとした4人の男性の着こなしも流石でした。同系色で合わせた帯と濃色の足袋がシックな大人の装いを際立たせたのです。
丈の長い男羽織とたっぷりとした羽織りの房紐は、望月さんがご用意されたのであろう着物の上質さを物語っておりました。
「あの・・・結城さんはどうなさったの?」
あの小柄でボーイッシュな、寡黙な女性運転手さんのお姿が見えませんでした。
この後男性達と過ごす事になる時間を考えると、今夜彼女までが別荘にお泊まりになるとは思えませんでした。
でも、ここまで雪道を運転してきてくださったのです。せめてお食事くらいは、ご一緒になさるとばかり思っていました。
「結城くんにはホテルを用意しました。明日僕たちを迎えにくるまで、快適なホテルライフを楽しめる様にしてあります。もちろん美味しい食事とスキーのリフト券付きでね」 美貴さんがそう説明してくださいました。
「そうなのですか」
お正月を独りで過ごす寂しさを彼女に味合わせてしまった申し訳なさと・・・これ以上同性に恥ずかしい姿をみせることのない安堵が同時に訪れました。
「優しいんですね。祥子さんは」
山崎さんは、わたくしの横顔に浮かぶ表情に気づいてしまったのでしょう。
「いえ、そんな・・・」
「それとも、結城くんがいないと燃えないのかな。祥子さんは」
「そんなのじゃありませんわ」
冗談ともつかぬ石塚さんの口調に、わたくしは大人気も無く即座に反論をしてしまったのです。側にいる望月さんに、車の中での痴戯をいまは知られたくありませんでした。
「立ち話もなんだね。食事にしよう」
美貴さんが助け舟のようにわたくしの手を取り、ソファーの向こうのダイニングテーブルへと連れて行ってくださったのです。
美しく整えられたおせち料理は、6人掛けのダイニングテーブルに用意されていました。
美貴さんが椅子を引いてくださいます。
「あら、このグラス」
テーブルに用意されたバカラのグラスセットの中で、その席だけには椿をアクリルで描き出したワイン用のベネチアングラスが置いてあったのです。
「さきほど見かけたので手に入れたんですよ。こちらのグラスはいいものだけれど、祥子さんの手には無骨でしょう。まさか着物の柄と同じモチーフだとは思わなかった」
オペラの椿姫を彷彿とさせる薔薇のような紅白の椿の花が、金彩とともに描かれた美しく華奢なグラスでした。
「ありがとうございます。うれしいわ」
わたくしを記念館の展示室で犯すかのように荒々しく愛したあとに、手に入れてくださったもののはずなのに・・・はんなりと美しく優しいフォルムのグラスでした。
わたくしの正面には山崎さんと石塚さんが、コーナーを挟んだ左側には望月さんが・・・そしてわたくしの右手には美貴さんがお掛けになったのです。
「きれいなお料理ですわね」
テーブルに並べられたお重の蓋をあけると、そこには絵画のような和のお料理が並んでおりました。漆黒に金の南天の塗りのお重に相応しい品格さえ漂うお食事です。
こんなに素晴らしいお料理をどなたがご用意されたのでしょうか。まさか、先に来ていた望月さんが?
「結城くんの泊まっているホテルの、和食の料理長に頼んでおいたおせちなんです」
この別荘は石塚さんの持ち物のようですが、ホテルのことは山崎さんがお詳しいのでしょう。さりげなく教えてくださいました。
「祥子さんのお眼鏡にかなってよかったです。都心の名店で修行をしてきた板長だそうで腕は確かです。味もなかなかですよ」
ほかのお二人も頷かれています。
器は石塚さんのセレクションなのでしょうか。洋のディテールの別荘なのに、しっかりとした素性の良い和の器が並びます。
取り皿を初めとする陶器は粉引きに大振りの椿を描いたものでした。
5枚のお皿にそれぞれ別の種類の椿が描かれ・・金彩で彩られているのです。
「これは土渕陶あん先生のものですか?」
わたくしの大好きな清水焼の陶芸作家の名前を口にしました。この方の描く花の器は友禅の振り袖のような優雅な豪華さが特徴です。
「ご存知でしたか」
石塚さんのにこにことした表情を見れば正解だということがわかります。
「ええ、わたくしは桜のものが好きで、いくつか手元に集めさせていただいておりますわ。絵付けが素敵で・・・石塚さんは器の趣味がよろしいのね」
「よかった、祥子さんに気に入ってもらえて。この皿はオーダーして作ってもらったものなんですよ。今夜のために」
「えっ・・・」
「僕はわりと備前のような器地肌を楽しむものか、絵付けがあっても呉須だけで描かれたような伊万里が好きなんです。ただ 祥子さんをお招きすると決めて、あなたに似合う器があるかと考えたら無骨なものばかりで、お恥ずかしいですが見当たらなくて。ははは、急いで手配したんですよ」
「それでまさかオーダーなさったんですか?」
確かに、陶あん窯は特注での製作を受け付けてくださいます。しかしそれには・・・それなりの対価と時間が必要なはずです。
「望月くんに紹介してもらって依頼したんです。今夜に間に合ってよかったですよ」
この方達はなんという手間と・・対価をこの数日のためにお掛けになるのでしょうか。
そしてそれは・・・きっとこの1枚のお皿だけのことではないのです。
なのにそんな気負った気配など微塵も感じさせなません。
金額の高ではないのです・・・以前にも望月さんがそのようなことをおっしゃいました。その言葉が許されるだけのものと、それをひけらかす必要のない素性の良さが、リラックスしてゆったりと微笑むお三方に垣間見えたような気がいたしました。
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