初雪 48
「お飲物は日本酒でよろしいですか?それともシャンパンになさいますか?」カウンターをはさんだキッチンに消えていた望月さんの声がしました。
「このお料理には日本酒がいいでしょう。用意してください」
そう答えたのは美貴さんでした。
「お酒もいろいろご用意なさっているの?」
一流ホテルではありません。冬山の中の個人の別荘なのです。それもお話によると夏場しかほとんどお使いになってないようなのです。なのに・・・
「地下に趣味でワインカーヴを作ったんですよ。ですから僕が好きなお酒のは、ほとんど東京ではなくてこちらで保管してあるんです。カクテルがいいなら後でお作りしますよ」
「カクテルまで? 石塚さんがブレンダーをなさるの?」
「ええ、学生時代にバイトで憶えたんですよ。ははは、そんなに意外ですか」
「ごめんなさい。そんなんじゃないんですけれど・・・」
「無骨に見えて石塚さんは器用なんですよ。きっと僕たちの中でも一番」
美貴さんが困っていたわたくしをフォローしてくださいました。
他愛ない会話を楽しんでいる内にお酒の用意が出来たようです。
お皿と同じ椿の柄の杯が並べられました。そして酒器も。
「お注ぎいたしますわ」
酒器を手にとり山崎さんに向けて差し出します。
「着物姿の祥子さんにお酌してもらうなんて格別ですね」
いつもなら・・祥子さんがなさることはありません・・とおっしゃる方達が、この時だけは・・・どなたも反対はなさりません。
「さぁ 祥子さんも」
正面に座られた山崎さんの杯から望月さんの杯までを満たし終えると、もう一つの酒器を持った美貴さんがわたくしにお酌をしてくださったのです。
「もう夜になってしまいましたが、あらためて」
この別荘のオーナーである石塚さんが乾杯の音頭を取られるようです。
「祥子さんと過ごす1年に、乾杯」
「おめでとうございます」
傾けられた杯の中の日本酒は・・とろりと舌を流れていったのです。
「このお酒は?」
わたくしの記憶にある好きな日本酒の味だったのです。
「ご存知ですか?」
ご用意になったのは美貴さんなのでしょうか。笑みを浮かべてわたくしをご覧になるのです。
「琵琶の長寿でしょうか」
「ええ あたりです。大吟醸が手に入りましたからお持ちしてみたのです。お好きなんですね」
やはり美貴さんがご用意くださったものでした。
「そうなんです。この花のような香りが好きなんです。和食にとても合いますものね」
「祥子さんの舌は特別製だね」
石塚さんのひと言には・・何故か淫らなニュアンスが少し混じります。
「この味がわかってしまうとは思いませんでしたよ」
それを助けてくださったのは山崎さんでした。
「いえ 偶然ですわ」
まだお食事がはじまったばかりです。せめてこの時間だけは、美味しく楽しませていただきたいものです。
「失礼します」
望月さんが次にお持ちくださったのはお造りでした。
寒ブリとカワハギ、ヒラメと牡丹海老に梅の花が添えられた一皿です。小皿には肝醤油と塩と加減醤油が用意されていたのです。
とても個人宅でいただいていると思えない美しさでした。
「望月くんもゆっくりしなさい。もういいのでしょう」
忙しく立ち働く望月さんに口添えをしてくださるのは山崎さんでした。
わたくしの左隣にようやく腰を下ろした望月さんに日本酒を注ぎます。
「ありがとうございます」
注がれたお酒をくぃっと一気に干すのです。
「望月くんの飲み方は気持ちいいね」
そう言う石塚さんも、ほとんど変わらないペースで召し上がっているのです。
「ほんとうに美味しいわ」
極上の夕食はこうして進んでいったのです。
なぜか食事中、今日のこれまでのことについては話題に上りませんでした。
わたくしが身支度を済ませる間に、男性の方達の間でもうお話されていたのでしょうか。
望月さんは迎えに出た車のわたくしを御覧になって・・・全てを察してしまわれたようですけれど。
そしてもう一つ話題に上らなかったのが<結城さん>のことでした。
同じ運転手なのに望月さんは同席して、控えめながら会話に加わっています。
美貴さんが後継者の1人として育てているという望月さんの立場は、この方達の中でも認められているのでしょう
そして結城さんはただの運転手でしかないのだと、この方達の態度が物語っておりました。
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