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蛍火 3

ほとんどのテーブルが、向かい合ってお食事をするセッティングになっていました。
その中でこの席だけが、二人が夕暮れの庭を楽しめる様に隣り合って座るようになっていたのです。田口さんはわたくしの左手にお座りになっていました。
ふたりの周囲の席には他のお客様はいらっしゃいませんでした。月曜日というウィーク・デーの始まりの日だということも、ディナーが始まったばかりの少し早いお時間のせいもあるのでしょう。

「よく憶えてらっしゃいますね。」
半年も前の夜のことを口にされた田口さんに、少し驚いていました。
「今日はきっちり襟元まで隠してらっしゃいますが、あの時、祥子さんの白い背中を見た時は心臓が止まるかと思いましたよ。」
あの夜・・・アメリカンスリーブの、肩から背中・・・そして仄かに膨らみのわかるバストサイドまでがあらわにされたドレスを纏っておりました。今日のように・・・髪もアップにして。
「ふふふ お上手ですこと。」
わたくしは前菜のプレートを前にして、シェフの言葉を軽く躱してみたのです。
 
「前菜です。草生茄子と芝海老のゼリー寄せ ガスパチョソースでございます。」
サービスの男性が簡単にお料理の説明をしてくださいます。
その瞬間だけ、田口さんの顔がプロとしての表情を取り戻します。仕事への自信を感じさせる威厳に満ちた横顔がとても素敵です。
でも、今夜見せて下さる顔はそれだけではありませんでした。
サービスの男性が一礼をして去ると、1人の男性としての優しさに満ちた表情をわたくしに対して向けてくださるのです。
「いただきましょうか。」
田口さんはカトラリーを手になさいます。
「初夏らしい爽やかなお皿ですわね。」
茄子の歯触りと芝海老の美しい色合いと、ガスパチョの爽快な香りを活かしたソースの仕上がりが、シェフの確かな腕前を感じさせます。
 
「先ほどのサービスの男性はここのチーフなんです。私のことを知っていますから、きっと後でシェフが挨拶にきますよ。」
「お帰りになったはずの先輩がどうして、って?」
そう・・・あそこでお逢いしなければ、もう20分も前には二人とも帰路についていたはずなのですから。
「ははは、その言葉を今頃キッチンで言ってる頃でしょう。」
田口さんは目の前のシャンパンのグラスに手を伸ばされました。このお料理になら、まだワインよりはマムのすっきりとしたお味が似合います。
わたくしも、お食事というには少し早いペースでお酒を頂戴しておりました。

一皿目が終わる頃、田口さんがぽつりとおっしゃいました。
「逢わせたくないな、祥子さんには。」
「わたくしがご一緒なのはご迷惑でしたか?」
プライベートとはいえ、お仕事関係の後輩にあたるのです。
一度きりお店にうかがっただけのわたくしが、こんな風に親しげにしているのを知られるのはご都合が悪いのかもしれません。
そういえば、田口さんにご家庭があるのかも・・・わたくしはこの方個人的な事情を何も知りませんでした。

「こちらをご用意させていただきました。」
最初のお皿が下げられたところで、先ほどのサービスの男性が赤ワインのボトルを持っていらしたのです。
「いえいえ、迷惑なんかじゃないです。」
用意された赤ワインはオーストラリアのものだそうです。鮮やかにテイスティングをなさると、心配げなわたくしに顔の前で指を振って見せるのです。
「祥子さんは、彼の好みにぴったりだからですよ。祥子さんに逢わせたら、きっと後がうるさくて仕方ないにちがいない。」
あの年末のテーブルで田口さんに対して石塚さんがおっしゃったような言葉を、今度はこの方がおっしゃいます。
「もう、そんなこと。田口さんの後輩さんなのだから、お若いのでしょう。わたくしなんて、眼中にはないと思いますわ。」
こんなレストランのチーフシェフなのです。30代の後半くらいでしょう。
「彼は34だって言ってたかな。いやぁ、この世界は実績なので年齢には疎くて。ははは。」
「いいですわね、腕の世界。」
「その分厳しいですけれどね。」 目の前に田口さんが上げたグラスの中には、ルビー色に光るワインが揺れていました。
「今夜の祥子さんの姿はあの時ほどは刺激的じゃないけれど、首元まできっちり覆った姿も却って想像を掻き立てられるんです。」 コメント
おはようございます。
上海は台風の影響で、風が強いです。

msnのブログは引越しなんですね。引越し先にも
お邪魔しますね。

2006/08/10 08:38| URL | yamatan  [Edit]
yamatan様
ありがとうございます。
今日の東京は台風一過。うだるような暑さです。
強い日差しに夏を感じております。
上海の台風もはやく通過してほしいですね。

2006/08/10 13:29| URL | 祥子  [Edit]
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