2ntブログ

重なる指に-1

「お久しぶりですね。お元気でしたか」
そういって差し出されるおしぼりの暖かさにほっとするくらいに涼やかな夜。
「ありがとう。そんなに久しぶり・・・そうだったわね」
「ですよ。今夜は何になさいますか?」
「おすすめのモルトありますか?シェリー樽熟成のものがいいわ。」
「そうですね・・・」

カウンターの壁面一杯に並ぶウイスキーのボトル。
一本・一本のボトルに慈しむように触れながら、ヴィンテージを確かめているバーテンダーのいつの間にか後で一つに結ぶほどに伸びた髪を見て、わたくしは本当にここに来るのが数ヶ月ぶりだったのだと実感しました。
「加納さんは長熟のものがお好きですからね。マッカランはいまいいものが無くて。」
「構わないのよ。たまには別のものもいただかなきゃ。もう、わたくしの好きなマッカランはほとんど手に入らないしね。」
「これなんかどうですか?」
「スプリングバンク?」
「ええ、ちょっと訳ありなボトルなんですが。加納さんになら飲んでもらってもいいって言われてますから。30年もののシェリーが本当に華やかなモルトなんです。」
「いいの? もしかして竹下さんのボトル?」
「よくお分かりで。随分加納さんがお越しにならないので、皆様寂しがってらっしゃいましたよ。」
「マスターもお上手ね。じゃ、竹下さんに甘えてそれいただこうかしら。」
「いつも通りで?」
「ええ お願いするわ。」

牡丹2

ターミナル駅から3つ目の駅の住宅街の中にある隠れ家のようなバー。
モルトウイスキーが売り物で、モルト好きが集まる・・ここはそんな店でした。
本店は、ターミナル駅にある彼が何年も前から懇意にしている店でした。
何度か彼に誘われて本店に伺った後で、よろしければ私は来月からこちらに移りますから・・・と目の前にいるマスターから名刺を差し出されたのが、この2号店に来る契機でした。

「いかがですか?」
「わたくしの知っているスプリングバンクとは随分違うわね。香りと舌の上に乗った時のまろやかさが・・・格別だわ。」
「そう言っていただくと竹下さんも喜びます。このボトルを持って来たとき、加納さんが来ないかなと随分お待ちになっていましたから。」
「そうだったの。申し訳ないことをしたわ。」
また一口。華やかなシェリーの香りの余韻に浸っていると・・・
「いらっしゃいませ。」
わたくしにそっと微笑んで、マスターは新しくお越しになったお客様へと小粋なお髭の顔を向けたのです。

今日はここで彼と待ち合わせでした。
とは言っても、時間はなんとも言えないよ、という注釈付きの約束でした。
わたくしが忙しい日々を送っていたように、彼も多忙な毎日を繰り返していたのです。
日々、手元に届くメールで互いの存在を確かめながら、決して触れる事のできない・・・そんなひと月にふたりで焦れて交した約束でした。

わたくしのことも、彼のことも知っていて・・・でも二人の本当の関係は知らない、ここもそういう店の一つです。
時間を決める事の出来ない約束の時、彼は必ずそういう店を待ち合わせ場所に選んでくれました。
わたくしの居心地が悪くないように。
お店に来て出来るだけ早くふたりきりになれるように。

牡丹1

「いらっしゃいませ。」
「悪い、遅くなった。」
隣のスツールに滑り込むように腰を下ろした彼は、まだ仕事が心のどこかにひっかかっているようなそんな顔をしていました。
「いいのよ。今夜は面白いお酒をいただいているから。」
「それは?」
「ノアズミル。バーボンなんだけど、美味しいわ。とっても。」

「今夜は珍しい人が来ると思っていたら、お待ち合わせでしたか。」
先ほどわたくしにしてくださったようにマスターは暖かなおしぼりを彼に差し出します。
「悪いね、なかなか足を運べなくて。」
「今夜は何になさいますか?」
「それ、美味しい?」
質問を投げかけたマスターにではなく、わたくしの方に振り向くとさりげなくそう聞くのです。
「舐めてみれば?」
わたくしは彼の目の前に、本当にこの瞬間まで口元にあったグラスを差し出したのです。
彼はグラスの中の芳香を楽しみ、まるで当たり前のようにわたくしがいただいていたのとおなじグラスの縁に唇をつけると、ほんの少しバーボンを口にします。
「いいね。俺もこれにしよう。」
「承知しました。」

他のお客様にするように、マスターは彼に飲み方を確認する事はありません。
美味しいウイスキーを彼がストレート以外で楽しむことなどないことを、マスターは熟知しているからでしょう。
磨き上げられたテイスティンググラスにワンショット分のバーボンを注ぐと、カウンターを滑らせるように彼の前に置きます。
「普通のバーボンでしたらショットグラスの方が気分ですが、ノアズミルはぜひこのグラスでお召し上がりください。」
「ありがとう。」
カットグラスにミネラルウォーターを注ぐと、マスターはカウンターの反対の端に座るお客様の相手に行ってしまいました。

牡丹3

「おつかれさまでした。」
「おつかれさま。」
わたくしの眼を見つめたまま、バーボンのグラスを傾けます。
眼をそらす事もできず・・・酔いではなく頬が染まるのを感じます。
「旨いな、このバーボン。それにこういう場所にいる祥子はとっても魅力的に見える。」
「もう お世辞じゃごまかされません。」
甘くにらむ視線も絡んだままでした。
「ごまかすなんてさせないよ。今夜は」

カウンターの上の二人はマスターやこの店の常連さんがご存知の、友人としての彼とわたくしの距離を保っていました。
でもカウンターの下のわたくしのストッキングに包まれた脚には彼のウールのスラックスの感触がしっかりと寄り添っていたのです。

「どうです、お好みよりも甘くはなかったですか?」
「いや、自分で選ぶと同じ様なものしか飲まないからな。こういうのは新鮮でいいよ。」
ゆっくりと1杯のグラスのバーボンを楽しむ間、わたくしたちは彼の仕事がらみのさまざまなことを・・・誰に聞かれても当たり障りのないような会話を・・・続けていました。
グラスの中身が空になったところで彼は、マスターにチェックの合図を送ったのです。
「これからどちらかへ?」
「2つ先の駅のイタリアンを予約してあるんだ」
「そうですか。では満腹なさったらまたお越しください」
「ははは 加納さんに酔わされなければそうするよ」
「お待ちしてます。おふたりとも」
「ごちそうさま」
「いってらっしゃいませ」

イタリアンなんて・・・予約していませんでした。
二つとなりの駅に行く為の改札とは逆の方へ、わたくしたちは何かに追われるように歩き、急いでタクシーをひろったのです。
コメント
お久し振りです
鬱陶しい日が続いていますが、お元気なご様子。
ちょっとした作業中に、リンクのチェックでふと立ち寄ったら、鮮やかなボタンに魅かれ・・・
お陰で一番乗りが出来ました。
バーボンのお話、申し訳ありませんが、明日ゆっくり読ませていただきます。
語り出すときりがなくなりそうで・・・

そして、続き・・・今度は期待しています。


2008/06/08 21:59| URL | masterblue  [Edit]
洒落たお店とウィスキー
 ちょっと隠れ家的な、上品なマスターのいるバーで、彼氏を待つ祥子様。
 それだけで、雰囲気が出て、いいですね。
 私は生憎とウィスキーのような強いお酒は不得手で、もっぱらビールとワインばっかり飲んでいますが、こんな感じのお店ではウィスキーを飲まないと場の雰囲気になじめませんね。
 若い時にもう少し、ウィスキーにもなじんでおけばよかったと、ちょっと悔やんでいます。
 祥子様とマスター、それにお連れの男性とのお酒の会話に、ついて行けません。
 それでも、そんな洒落た蘊蓄を楽しみに読ませていただいております。
 牡丹、きれいですね。
 今では一年中花があるとはいえ、この時期の春ボタンは梅雨の雨にも合って好いものです。
 3枚の写真どれもいいけれど、私は2枚目がちょっとソフトフォーカスで、祥子様を思わせて好きです。
 写真の腕も一段とおあげになったようで、うらやましい限りです。
 食前酒に寄った、バーなのかと思ったら、行き先はレストランではなくて別の方向へ……。
 しかも続きのお話があるようで……。
 楽しみです。
 ゆっくりと、お待ちしています。

2008/06/08 22:56| URL | オーバーチュア  [Edit]
こんばんは
あすは週明けだし、早く寝よう。
そう思っていちどは床に就いたのですが。
どういうわけか、寝苦しくって・・・
あきらめてPC立ち上げて、こちらにお邪魔してみて。
そういうことだったのか、と(勝手に)納得いたしました。^^
久々の新作。
きっと、虫が知らせたんですね。

バーボンの薀蓄もさることながら。
安酒飲みの柏木には、カウンターの下の脚の絡み合いがどうにも気になって仕方がございません。^^
シュミが低くって、すみませんです。(^^ゞ

バラ一輪 夜ひっそりと 咲き誇り
駄句です。^^;

2008/06/08 23:53| URL | 柏木  [Edit]
白い牡丹に控えめな優雅さを感じます。

>「日々・・・決して触れる事のできない・・・」

同様の毎日を送っています。
先日、あの方と8週間ぶりにお食事をご一緒し、楽しいひと時を過ごさせて頂きました。
手に触れる事は自重しました。やせ我慢です。
「その2」に私の願いを重ねたいと思います。

戯言、失礼しました。



2008/06/09 00:46| URL | かずみ  [Edit]
きっと、祥子さんは立てば芍薬、座れば牡丹…
しっとりとした大人の空間でも、際立つ艶やかさなのでしょう…。
なかなか儘なら無い逢瀬。
でも、マスターと言葉を交わしながら、彼様を待つ。そんな時間も、お似合い。
お食事ではなく、どちらへ?気にかかります。

モルトウイスキーは、まだまだ…。普通のスプリングバンクは口にした事がありますが。
ノアズミル。お菓子の様な香りで、お食事の後、私は頂くの、好きです。

2008/06/09 10:21| URL | るり  [Edit]
6月の新作を待ち焦がれていました。
Barやウィスキーには縁のない日々に、一服の清涼剤をありがとうございました。

続きを楽しみに♪

2008/06/09 20:53| URL | dreamcat  [Edit]
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2008/06/11 09:35| |   [Edit]
ありがとうございます
masterblue様
masterblue様の一番乗り♪
久方ぶりでわたくしもうれしいです。
バーボンお好きなのでしょうか?よろしければ、そんなお話をmasterblue様のところで・・・いかがでしょう。
わたくしも楽しみにしておりますわ。

オーバーチュア様
このバーに行くと、わたくしの知ってる事なんてまだまだ子供のレベルで、お話にでてきた常連さんたちのお話にもなかなかついていけません(笑)
お写真は、実はGWのころに撮ったものです。
実はもう一つ別のお花のお写真もあるのですが・・・なかなかアップ出来ずにこんなタイミングになってしまいました。
今はもう咲いていない幻の花で、ファンタジーな一夜の物語を綴っているのだとおぼしめして、何卒ご容赦くださいませ。

柏木様
わたくしが念でお呼びしたのに気づいてくださってうれしいです(笑)
お読みいただけてゆっくりおやすみになれたのでしょうか?
それとも余計に眠れなくさせてしまいましたでしょうか?
カウンターの下の膝から下の戯れ・・・大人だけの裏技のように思うのはわたくしだけでしょうか。

かずみ様
きっとその方に恋しはじめた時には、思うときに気ままにメールだけでも出来たらといいのに、と思ったはずなのです。
メールが出来るようになれば逢いたくなる。
逢えるようになれば触れたくなる。
人はなんと欲深いものなのでしょうね・・・
続きのお話、できるだけ早くアップするようにがんばってみます。今暫くお待ちください。

るり様
立てば・・・なんて、お恥ずかしくて顔を出せなくなっちゃいます(笑)
待つ時間は切ないけれど、逢えればその時間さえ甘美だったと思えるのは、少しは自分が大人になったせいかなと感じる今日この頃です。
モルトバーの常連さんたちは、皆さん口を揃えて「女性ファンが少なすぎる こんなに美味しいのに」とおっしゃいます。
ぜひ、機会があればお試しください。
ノアズミルのようなモルトもありますから♪

dreamcat様
お待たせいたしました。
実は5月中にと、6月早々に・・・なんて計画しつつ写真を撮り貯めていたのですけれど、野暮なお仕事に邪魔されてこんなタイミングになってしまいました。
続きもできるだけ早くに・・・がんばります。

秘密コメント様
ご無沙汰しております。コメントありがとうございます。
以前とは毛色が少し違うのですが少しずつ再開しております。
お時間の許す限りお越しいただければ幸いです。

2008/06/13 11:45| URL | 祥子  [Edit]
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