ムーンナイト・アフェア 1
真夏のジャズライブから2ヶ月。いつもの女友達に誘われて、久しぶりにあのホテルに向かう事にいたしました。
秋の夜に月が浮かぶ宵のことでした。
都心にひっそりと存在する庭には、いまは鈴虫の声がかすかに響いておりました。
あの佇まいはなにも変わらないままに、陽が落ちるとひんやりとする夜気がそこここに漂っておりました。
春先から毎月欠かさずにうかがっていたジャズライブを、先月はじめてお休みしてしまいました。
だって・・・あの蝉時雨の庭で起きた事。その後の電車でのこと。
あまりに刺激的で淫らで・・・思い出す事すら切なかったからです。
また同じことが起きる、とまでは思ってはいませんでした。
それに、あの黒づくめの男性が言葉通りにいらしているとも、思ってはいませんでした。
でも、どうしても伺う事ができなかったのです。
先月、誘いに来てくれた女友達に「仕事が終わらないの」とみえすいた言い訳をして、とうとう彼女一人で行ってもらってしまったのです。
彼女一人でライブを楽しんだ翌朝、女友達はにこにこしてわたくしのところに来たのです。
「いつもの主催者の沢田さんだけじゃなくて、いろんな人に祥子さんは来ないのかって質問攻めにあっちゃったわ。来月はぜひお連れくださいってこんなものまでもらっちゃったのよ」
彼女は<名月ライブ>と書かれたリーフレットを差し出したのです。
「来月は一緒にいってもらえるわよね。」
無邪気に笑う彼女に、わたくしはNOとは言えなかったのです。
今宵はサックスとはじめてのピアニストとのデュオだそうです。
到着したのは開演の5分前でした。
その日はカナリアイエローのブラウスに黒のタイトスカート。
同色のスパンコールをちりばめた黒のカーディガンに、黒ベロアのハーフコートを羽織っておりました。
インナーは白にイエローの大振りなレースの花がアクセントになったブラとTバックショーツ、そしてスリップ。
ストッキングは少し肌寒かったのでパンティストッキングを選びました。
あまりにセクシーなランジェリーがわたくしの雰囲気を変えてあんな目に遭ってしまうのだわ。
そう思ったからです。
「加納様、よくいらしてくださいました。先月はいらっしゃらなくて寂しかったですよ」
ラウンジに入るなり主催者の方が・・・沢田さんとおっしゃるそうです・・・お声がけくださいました。
「ごめんなさい、少し仕事が立て込んでいたものですから」
あんなことがあったなんて・・・きっとご存知ないんだわ。
沢田さんのほんとうに心配そうな声に、少し申し訳なさを感じてしまいました。
「いえいえ、加納様には来ていただかないとプレイヤーも張り合いがないみたいで。今日はいい演奏が聞けるでしょう」
「お世辞がお上手ね」
わたくしは苦笑いをするしかありませんでした。
「わたしじゃ役不足なのね」
女友達がまぜっかえします。
「いえいえ、いやぁまいったなぁ。前回もよかったですよ。ははは」
さぁ、こちらにどうぞ・・・といつものお席に案内されました。
いつになく新しいお客様の多いジャズライブでした。
わたくしの隣の席には、女性二人連れのお客様が通されました。
主催者の方はいつものようにお話にいらっしゃりたい様子で視線を投げてきます。
が、新しいお客様の対応に追われているようでした。
7時10分 September in the Rainからスタートです。
「お飲物はいかがいたしましょうか」
サービス・チーフが珍しく席にオーダーを聞きにまいりました。
「いつものを・・・」
「ありがとうございます。お久しぶりです、今月はいらしてくださってうれしいです」 演奏を意識して押えた声で挨拶をしてくれました。
おねがい、よろしく・・・ の代わりに眼顔で頷きました。
ラウンジ担当の何人かのスタッフの方達も、会釈で挨拶をしてくださるのです。
女友達はグラスビールを手に、もう音楽の森をさまよっているようでした。
ラウンジの中を改めてゆっくり見回しました。
あの黒衣の男性は・・・そしてお友達もいらしていないようです。
そして 今夜は支配人の姿も見られませんでした。
少しだけわたくしはほっとしていたのです。
が、それも・・・2曲目の あなたはまだ恋を知らない が始まるまででした。
「お待たせいたしました。白ワインでございます」
小柄な男性特有の少し高い、でもざらついた支配人の声がいたしました。
「あっ・・・ありがとうございます」
間違いなく、今日はいないのだと思っていた支配人でした。
「先月はお越しいただけなくて残念でした。今日はゆっくりなさってください」
わたくしの前のテーブルに、グラスに注がれたアウスレーゼとチーズの盛り合わせのオードブルを並べました。
「ありがとう」
わたくしの痴態を覗き見・・・自らを慰め・・・射精した男性。でも、そのそぶりさえ見せない老獪な男性。
ようやくつくりものの微笑を口元に浮かべることができました。
わたくしを見つめていた支配人はそれで満足したのでしょう。一礼をするとトレイを手に立ち上がります。
数歩・・・サービスカウンターに去ったと思ったのに、耳元で支配人の声がしたのです。
「祥子様、長谷川様からお預かりしているものがございます。1stセッションが終わりましたらフロントにお越しください」
それだけを声を顰めて言うと、なにごともなかった様に立ち去ってゆきました。
1stセッションのラストの曲 枯葉 が終わるまで様々な想像が脳裏を駆け巡りました。
あの黒づくめの男性の名前が<長谷川様>だとはじめて知りました。
そして何の根拠もないのに、あの方が1人の社会人として決して非常識なことをなさる方ではないとも思えたのです。
ただ不安だったのは、あのとき持ち去られたわたくしのランジェリーは今もそのまま彼の手にあるはず・・・であることと、支配人だけはその事実を知っていたからなのです。
セッションの間の休憩の時間がまいりました。
いつもはお友達と軽いお食事をいただき、仕事の場ではできない他愛ない会話を楽しむのです。
先に預けられたものを取りにゆくことも考えましたが・・・彼女にいろいろと詮索されると思うと気が引けました。女性同士だからこそ知られたくないこともあるのです。
彼女のオーダーしてくれたお料理がセッション終了と同時にテーブルに並べられました。それならと、まずお食事にしたのです。
「祥子さんは人気者ね」
と無邪気に彼女にからかわれながら・・・
「化粧室にいってきます」
そして2ndセッションが始まるころ、彼女にそう笑いかけて・・・フロントに向かいました。
「加納と申します。支配人さんからこちらに言付かっているものがあるとうかがって。ございますか?」
やさしく微笑みかけるフロントマンにお声がけします。
「はい、少々お待ちください」
バックヤードに彼が下がるます。
「お待たせしました。こちらが長谷川様からのお預かりものです」
まもなく代わりに紙袋を手にした支配人が出てきました。
その袋は都内の百貨店のものでした。
「わたくしに? こんなものいただけません。」
「先月お持ちになってらしたのですが、加納様がお見えにならないので私どもで言付かりました。加納様がそう仰るだろうとカードをお書きになってらっしゃいました。よろしければどうぞごらんになってください」
胸元に押し付けられた袋を受けとり・・・不安を振り切りたくて、そのままフロントの側のベンチで中を確認したのです。
中には有名ランジェリーショップのパッケージと、一通の封筒が入っていました。
「祥子さん お逢い出来なくて残念です。
これはプレゼントをするとお約束していたランジェリーです。
手渡せなかった罰に僕とのデートに付き合ってください。
あさっての日曜日 17:00 ○○○駅で待っています。
僕の携帯番号は090-XXXX-XXXXです。
今夜の装いにこのランジェリーでいらしてください。
今度はお約束を守って下さると信じていますよ。
長谷川」
その夜、その後に演奏されたナンバーは・・・最後の FLY ME TO THE MOON 以外・・・わたくしの記憶には残りませんでした。
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