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サファイアの夜 1

大変お待たせいたしました。
先日来予告しておりました、50万アクセス記念作をお届けいたします。

これは<オペラピンク前夜>よりも前のお話です。
まだ、わたくしが前の方に心囚われていた時の切なくて・淫らな物語をどうぞお楽しみくださいませ。

外伝2/レンジローバーの帰り道 15

関越道はあの事故渋滞以外は順調だった。
「そろそろ最後のPAですが、休憩なさらなくてよろしいですか?」
話に夢中になっている間にもう川越だ。
「いいだろう?」
石塚さんの言葉に私と美貴は頷いた。
「結城くん、君が休みたいなら三芳に停まろうか?」
彼女は上里で食事をしている。それにずっと運転をしているのだ、さすがに疲れているだろう。トイレ休憩がしたいなら、させてあげたい。
「いえ、私は大丈夫です。このままホテルに向かっていいですか?」
「そうしましょう。この車はホテルの駐車場に置いておけばいいですから、ご褒美に美味しいお酒をごちそうしてあげますよ。」
「ほんとですか。ありがとうございます。」
「こらこら、美貴。結城くんはお酒が弱いんだからほどほどにしてくれよ。」
「ああ、お目付役が煩いな。だからナンパされても彼氏ができないんだよな、結城くん。」
「ちがいます。」
石塚さんが私をからかう台詞に結城くんはしどもどしてる。
一見はまだ20代そこそこに見えるが、今年は25になるはずだ。ほんとうに、そろそろ恋人でも作って美貴のところの島田さんじゃないが一皮むけてもらわないと、な。
結城くんはほんとうに素直ないいコだ。彼女にぴったりの、優しい責任感のある青年と出逢えるといいと思う。
「石塚さん。あんまり結城くんをからかうと、もう石塚さんの居る時には彼女を貸しませんよ。」
「からかってるつもりはないんだけどな。結城くんの腕は確かだし、なかなかいい運転手だよ。俺は気に入ってるんだ。そうだ、せっかくだから彼氏ができるまで、俺と付き合ってみるか?」
「こまります。」
ルームミラーの中の彼女は真っ赤になっていた。
周囲に車の量も増えている、そろそろ大泉JCTだ。首都高もまだそれほど渋滞はないらしい。タワーホテルに向かうために、結城くんは車を左車線に移動させている。
「石塚さん。結城くんに手を出すのは許しません。彼女にはもっと相応しい相手がいるんですから。」
「申し訳ありません。」
蚊の鳴くような声で、結城くんが謝罪を口にする。
「ははは・・・ 立て続けに2度も振られちゃ、惨敗だな。」
「当たり前です。」
わはははは・・・・ 再び起こった爆笑に、今度はルームミラーの中の結城くんの目元も赤らみながら笑っていた。
「愛されてるね、結城くんは。」
美貴の言葉に、彼女は小さく「はい。」と答えた。

雪の別荘からの帰り道。
祥子さんとの時間を思えば味気ないはずだったが、なかなか楽しい時間になった。
夕食の中華も美味しくいただけるだろう。
これで、結城くんへの罪滅ぼしになったろうか・・・明日から、また気持ちよく一緒に働くためにもしこりは遺したくなかった。
ホテルから自宅までは、僕のタクシーで一緒に送ってあげよう。それくらい、しなくちゃな。

石塚様は、あたしを困らせるようなことばかり言う。専務の前で社交辞令でも他の男の人に<好き>とか<付き合う>なんてこと言いたくない。だってあたしが好きなのは、専務だけなんだから。
美貴様が「愛されてるね。」って言ってくださった。
それがほんのちょっとでも・・・本当なら、うれしい。本当にならないかなぁ。

外伝2/レンジローバーの帰り道 14

「ああ。でもますます解らないな。なんで彼女を手放したりしたんだ、前の旦那は。」
「協議離婚のようです。祥子さんが全ての手続きをして夫婦で住んでいた家を出た様です。いまだに元の夫は独身です。理由はわかりませんが、彼女が三行半を突きつけたというところでしょう。」
「だよな。バカな男だ。俺なら絶対なにがあっても祥子さんを手放すようなことはしないがな。」
「まあ、夫婦はいろいろですよ。そうでしょう、石塚さん。」
離婚経験のある美貴が、同じ経験を持つ石塚さんに含みのある一言を掛ける。
きっと本当にこれ以上は調べられなかったのだろう。それに、この話を続ければ・・あとは憶測だけしか残らない。
「子供はいるのか?」
「いませんよ。子供のない夫婦だったようです。」
美貴が即答し、そして苦笑いをするように付け加えた。
「子供がいたら、年末年始のこの時期に何日も僕たちと過ごしてくれるわけがないじゃないですか。石塚さんじゃないんですから。」
「たしかに。」
「うちは仕方ないだろ。日本に居ないんだから。別に父親の役割を放棄してるわけじゃないしな。」
リアシートから助手席の石塚さんの横顔しか見えないが、自分の子供のことをつつかれた時だけは一瞬彼も苦い顔をした。耕市くんといったっけ・・・石塚さんのお子さんは。いまはいくつぐらいになったんだろう。

しかし・・・
「それで、あの知識っていうことは百貨店時代によほど徹底的に売場で教育をされたか、よほど生まれがいいか・・・しか考えられないな。」
頭の中に浮かんだ言葉がそのまま口をついて出てしまった。
そう、百貨店の売場は実は普通の人が思っている以上に専門特化している。特定の売場を社員として担当する以上、門前の小僧とはいえ、その気になれば相当の知識を持つことができるのだ。
「売場にはとうとう出なかったようだよ。祥子さんの経歴を見ると。入社してからデザイン開発部門一筋だったようだ。」
「っていうことは?」
「いえ、実家もごく普通のどこにでもあるサラリーマン家庭です。ですが。」
美貴が一旦言葉を切る。
「祥子さんの母方の祖母の実家が爵位持ちだったようですね。戦前まではなかなかの羽振りだったそうです。」
「ほう、世が世ならお姫様か。」
「そのようです。」
「なるほど、ね。」
3人は示し合わせたように頷いてしまう。
そう言われて納得できるだけのものを、あの祥子さんという女性は持っているのだ。
たとえ遡ってのこととはいえ、家柄がそこまでしっかりしていれば山崎の家にも何も言わせない。祥子さんを妻にするのに・・・問題は何もない。

えっ え~~~~。おひぃさまぁ??爵位って少女マンガの中だけのことじゃないの?それにデザイナー??あたしの通っていた専門でもデザイナー志望者は山の様に居たけど成功するなんてほんの一握り・・宝くじくらいなものなのに。フリーで専務やこの方達とお付き合いできるような生活をしてるなんて信じられない。
娼婦なのかと思ったのに・・・だからあんないやらしいこと平気でさせるのかと思ったのに・・・なに、それ~~~。

外伝2/レンジローバーの帰り道 13

結城くんは女性にしてはとても寡黙だ。
普段運転手として接しているときも、必要以上のことは口にしない。
私の指示にも短く適切な返事を返し、解らないときは率直に質問する・・・部下としては大変付き合いやすいタイプの女性だと思う。
前の佐藤さんは父の代からの運転手だったから、都内だけでなく山崎家に関する行き先はほとんど熟知していてくれた。定年で辞めることになった彼の後を引き継いだ彼女の為に、私は社用車にカーナビを取り付けたのだ。
メカに強い(なんといっても結城くんはそもそもCADオペレーターなんだから)彼女は、あっという間にナビを使いこなして大抵の業務は問題なく済ませるようになった。
ただし不測の事故が起きたり、同乗者の都合で当初の予定が変わりそうな時、結城くんは言葉にする前にもの言いたげな眼で私を見つめることに気がついた。
もちろん、ちゃんと言葉にして確認すべきことは結城くんも口にする。が、言葉にするまでもなくYES・NOで答えられるような時、私はできるだけ今みたいにして彼女に答えてあげるようにしていた。

「美貴、いったい祥子さんはどんな経歴の人なんだ。美貴のことだから調べているんだろう?」
えっ・・・それは初耳だった。ただ、望月くんは祥子さんの自宅を知っている。とすれば、美貴の持つ調査能力をすれば彼女の素性を調べることはそう難しいことではないだろう。
「いまは、フリーのグラフィック・デザイナーをしているそうです。アーティストというよりはクリエイターでしょうか。大手の企業をいくつかクライアントに持ってさまざまな分野でデザイン提案をしているそうです。」
「デザイナーなのか。どこの美大を出てる?」
グラフィックなら美大だろう。彼女のセンスなら多摩美か・・それとも。
「出身は美大じゃない。社会学が専門だそうだ。」
「社会学ぅ?また、畑違いだな。」
「石塚さんのところみたいに、有資格者の専門家集団だとそんな印象なんでしょうね。僕も不思議に思ったんですが、どうもデザインは独学のようです。祥子さんはもとは百貨店に勤めていたらしいです。そこのデザインチームでバイヤーをしていたという経歴が残ってますから実務で磨かれたものでしょう。」
「それで、フリーでやっているのか。すごいですね。」
うちにも、デザイナーという肩書きを持つスタッフは20名ほどいる。どのスタッフもデザイン専門学校か変わり種でも美大を出ている。全く畑違いのところの出身で、デザインで身を立てることができるなんて・・・生来もっているセンスが半端じゃないということだ。
「ああ、普通なら考えられないが、そうらしい。ジャンルを問わず、様々なもののデザインやプランニングを手がけた実績があるようですよ。」
「結婚はしてないんだろう。」
石塚さんはずばっと切り込んでくる。それは私も気になったことだ。
「いまは、してませんね。離婚経験があるようです。」
「あの女性を妻にして、手放す男がいるなんて信じられないな。何年結婚してた?」
「16年だそうです。22で結婚して38で離婚。以来独身で一人暮らし・・・という報告が来ています。」
「22の祥子さん。可愛かったでしょうね。」

外伝2/レンジローバーの帰り道 12

いやいや、まったく私も石塚さんに毒されたかな。
別に祥子さんとセックスやアブノーマルなプレイをするだけが私の望みではない。確かに彼女と肌をあわせると、信じられないほど男になれる。でも、そんな快楽のための相手として彼女が欲しい訳じゃない。
あのマリエだってあんなプレイに使うために開発したわけじゃない。私との結婚式の時にノートルダム寺院で彼女に着せることをイメージして、デザイン開発させたブランドのものなんだ。
どうしてもこのメンバーで逢うと競う様に彼女と肌をあわせたくなってしまう。きっとそれは同性の眼からみても見事だと思うこの2人に(いや、本心では若い望月くんのことだって、恐れている。いつ祥子さんの気持ちが彼の純情に傾くか・・・と)渡したくないと思うからなのだろう。ほかの人たちに祥子さんを渡さない一番簡単な方法は、抱きしめて離さないことだから・・・。
けれど、できたらゆっくりと祥子さんと話す時間がほしい。もっと、彼女自身のことが知りたい。何を喜び、何を好み、何を悲しみ、何に怒る人なのか・・・どんなことに、心からの微笑みを見せてくれるのか。

ああ、私は祥子さんに<恋>しているんだ。

「陶器のことや、お酒のこと。たまたま好みが一緒だとしたら嬉しいが、そうでなければ彼女の中にどれだけの教養が詰まっているのか想像もつかないね。」
「ええ。」
「・・・はい。」
どれだけの間、私は自分の心の中の声に囚われていたのだろう。
石塚さんの言葉に私はほんの少し遅れて間の抜けた返事をしたようだ。
「箱根では、宿の庭木の名前を歌う様にして教えてくれましたよ。」
確かにそうだ。祥子さんと居て、話題に困ることはない。私達が手を尽くして準備したものは、必ず彼女には解るようだった。
「女性だから婦人服に詳しいとは限りませんしね。毛皮にしてもドレスにしてもちゃんと価値と良さを解って着こなしてくれる人はそうは居ません。」
「そうだな。また、それが似合う。祥子さんに持たせると、華がありすぎるほどの陶あんの器がしっとりと落ち着いて見える。大抵の場合には『馬子にも衣装』で持つ人間が位負けしてしまうような器なんだがな。」
「ええ、望月もそう言っていましたよ。石塚さんから注文を受けた時にはなんて華美な器をこんなに揃えるんだって。でも、祥子さんをお迎えする時用のものだと言ったら黙ってあれだけのものを手に入れてきたんです。」
「望月くんもなかなかやるな。」
「石塚さんがそう言っていたと、聞かせてやりますよ。きっと喜ぶ。」
「いやだめだ。絶対言うなよ。祥子さんと2人きりでドライブをしている奴を喜ばせることなんてない。」
わははは・・・ 石塚さんの言葉に思わず爆笑してしまう。
「たしかに・・・ははは・・そうですね。美貴、絶対に言うなよ。」
「はは・・・解ったよ。」
ルームミラーの中の結城くんの眼が、不思議そうにこちらを見ていた。

たしかに、突然の私達の笑いは彼女にはなにがなんだかわからないことばかりだろう。
笑いの衝動が収まったところで、『心配ないよ』という気持ちを込めて結城くんの眼を見つめて微笑んでみせた。運転手にして1年のうちに出来た結城くんとの無言のコミュニケーションだ。