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「そうか、まだ一度も祥子さんに僕の仕事のことを話したことはなかったね。」「ええ。」
二人の前に、新しいワインのグラスをトレイを持ったクルーが届けてくださいました。
ありがとう・・・目顔でお礼をしてお話を続けます。
「支配人からも聞いてないか・・・そうだな話したりしないな。僕はね、設計事務所に勤めているんだ。」
「設計家の先生?一級建築士さんなんですか?」
「ははは 一級建築士だが、先生じゃないな。ある設計家の個人事務所の一スタッフだよ。」
「そうでしたの。」
スタッフとおっしゃっても、相応の実力をお持ちなのでしょう。
センスの良い装いをされた3人の若手を、部下だといってお連れになっているのです。この方のご様子なら、チーフ格以上、いえ設計事務所の主宰者の次席クラスであることは間違いないでしょう。
「去年から今年にかけて、竹上が手がけた商業施設の設計をウチの事務所で扱ってね。それで招待されたんだよ。」
「そうでしたか。」
「ところで、祥子さんは誰に招待されたのかな。たしかこの業界の人じゃなかったよね。教えてくれないか?差し支えなければでいいけど。」
招待されたのだと言っておきながら、たった1人で周囲のどなたに気を遣うことも無く、長谷川さんだけに向き合っているわたくしのことが流石に気になられたようです。
それでもダイレクトに質問なさらない長谷川さんに、彼なりの思いやりや男としての慎みも感じたのです。
隠す必要はないでしょう。
いえ、たとえ隠してみたところで知られてしまうのは時間の問題です。
「あの方なの。」
まるでただの知り合いなのというように、わたくしは視線の先をゆく竹上建設のトップ3のうちのお1人を示したのです。
「竹上の次男坊か。」
「ご存知なの?」
「ああ。竹上建設の専務で、竹上開発の社長をしている切れ者だよ。さっき挨拶した社長より、やり手かもしれない。」
「そう、そんなに凄い方なの。」
わたくしが存じ上げているのは石塚さんの、プライベートのほんの一面だけでした。お仕事に関しては・・・そう、年末に一度だけディベロッパーなんだよ・・・と教えていただいただけでした。
建築業界でディベロッパーといわれる企業は大小含めいろいろございます。まさか、これほど大きな企業のトップをなさっている方だとは、あの時想像もしなかったのです。
わたくしとご一緒の時の石塚さんは1人のとても魅力的な男性でした。
趣味の良さやフランクな態度の中に潜む優しい心遣いや・・・知識や行動力に優れたものお持ちになった希有な男性のお1人でした。
特に、社会的な立場を持ち出してわたくしの関心を引くことをただの一度としてなさらない方でしたから、わたくしも1人の大人としてあえて質問することもしなかったのです。
長谷川さんは一瞬・・・優秀な設計士としての顔を捨て、牡の表情を浮かべたのです。
「祥子さん。この業界じゃあたりまえのようなことも知らないってことは、石塚専務とどんな関係なんだい?」
「ん~、そうね飲み友達かしら。」
会場の一番端のテーブルから、石塚さんがワイングラスを掲げて・・・忘れてないよ・・とわたくしに合図をしてくださいます。
わたくしも同じ様に遠くの石塚さんに向かってグラスをあげてみせたのです。
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「ただの飲み友達じゃないんだろう?」「ふふふ、ご想像にお任せします。」
「ははは これだから男達は祥子さんに惑わされるんだな。」
そして耳元に囁くのです、今夜の君も素敵だよ・・・と。
「ずっとご連絡も下さらなかったから、わたくしのことなんてお忘れになったかとおもっていましたわ。最近はライブにもお越しになってないんでしょう。」
わたくしは、目の前で嫉妬心を少しだけ露にしてくださった長谷川さんに、少しだけ拗ねてみせたのです。
全ての愛奴と別れるから僕のものになれ、とおっしゃったまま2度と連絡をくださらなかったこの方に。
「ああ、忙しかったからね。竹上の仕事はさっきの会長の言葉じゃないが、なかなかハードなんだ。」
「そう。でもご活躍なのね、よかったわ。無理をしてお身体壊したりなさらないでくださいね。」
「ありがとう。」
長谷川さんのグラスはもう空いていました。クルーに手を上げて、新しいワインを求められます。
「彼にもこの身体を括らせてるのか?」
「ふふふ、知りません。」
ワイングラスを下げたクルーがこちらに背を向けたとたんに、長谷川さんはどきっとするような質問を囁かれたのです。
わたくしは、恍けることにいたしました。
全くなんのしがらみもないお二人ならともかく、お仕事で利害関係のある方達です。個人の性癖に関わることをうかつに口にすることなんて・・・できなかったからです。
「別に、そういう意味で聞いたわけじゃない。」
長谷川さんには、わたくしの答えの意味が通じたようです。
「僕だってとても他人には聞かせられない『趣味』の持ち主だからな。」
そうなのです。この方はわたくしが存じ上げている方達の中でも最もハードなS性を持った方だったからです。
都心から少し外れた離ればかりが立ち並ぶ宿で、一晩中わたくしを縛り・吊り・鞭打ち・責めた方でした。
夕方に待ち合わせにいらした車の中から、明け方外が白みはじめるまで、ずっと・・・わたくしはこの方の手で<行為>の持つ意味を教え込まれたようなものでした。
長谷川さんが赤ワインを浸した指で・・・わたくしの二の腕を横にふた筋・・・辿ってゆきます。それはわたくしを高手小手に縛った時に、赤い縄が肌の上に残す痕と同じ場所だったのです。
「もう、こんなところで・・・だめ。」
声に媚びが混じらない様に、ざわめきに包まれたパーティ会場の他の方に聞こえない様に・・・わたくしは背の高い彼の耳元に唇を寄せると、長谷川さんをそっと嗜めたのです。
「わかってるよ。祥子さんに逢ったら、抑えていた気持ちが我慢出来なくなりかけてる。これから、ここで・・・」
「失礼します、加納様でらっしゃいますか?」
「はい。」
わたくしに声を掛けていらしたのは、パーサーの男性でした。
「特別室にお連れする様にと、申し遣っているのですがよろしいでしょうか。」
ご一緒にいる長谷川さんのことを気になさっているようでした。
こんな風にわたくしを呼び出すのは・・・石塚さんしかありません。
そのことは、長谷川さんも察してくださったようでした。
「ごめんなさい。いいかしら、失礼させていただいて。」
わたくしは真っすぐに長谷川さんを見つめたのです。
「ああ、今夜は逢えてうれしかったよ。また連絡してもいいかな。」
「はい。携帯もメールも変わってはおりませんわ。」
「わかった。」
失礼致します。片手を上げて見送ってくれた長谷川さんに、パーサーは一礼して、わたくしをパーティールームから連れ出したのです。
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「4階のエロイカになります。」「はい、難しくなければ1人で行くわ。この階段を上がればいいのかしら?」
パーティルームのドアを出た向かいの通路に、上階へ上がるための細い階段がありました。
「恐れ入ります。こちらを上がって頂いて、正面が特別室になります。お部屋は一つですのですぐにわかっていただけると思います。」
「ありがとう。それなら大丈夫です。」
パーサーは、80名以上のお客様のサービスを取り仕切られているのです。スタッフにご迷惑を掛ける訳にはいきません。
わたくしは1人でゆっくりと客船らしいコンパクトなその階段を上っていったのです。
エロイカと印された部屋は、先ほどのパーティルームに比べればほんとうに小振りでしたが・・・まるで邸宅の応接間を彷彿とさせる重厚感のあるお部屋でした。
お部屋の中央のテーブルには、シャンパンとそれから下のパーティルームに用意されていたのと同じようなオードブルが二人分ほど用意されていたのです。
このお部屋からは、テーブルと椅子の並ぶデッキにそのまま出ることができました。
デッキに向いた窓の外はすっかり陽も落ちて、東京湾の夜景が見事なパノラマを展開していたのです。
「待たせて申し訳ない。親父たちが放してくれなくてね。」
バフッ・・カチャッ・・・ ドアの開く音と共に、太くしっかりした石塚さんの声がいたしました。
わたくしは見とれていた窓外の景色から目を離し、ゆっくりと声のする方へ振り返ったのです。
「今日はお仕事なのでしょう。わたくしのことなら宜しいのに。」
「だめだめ。祥子さんを1人にしては置けないよ。早速イケメンと二人で話し込んでいたじゃないか。」
「ふふふ、そんなんじゃありません。」
「ははははは 大丈夫だと思っているのは祥子さんだけさ。」
半年ぶりに聞く石塚さんの笑い声は、変わらずこの方らしく陽気でした。
石塚さんは椅子を引きわたくしを座らせると、テーブルの上の2つのグラスにシャンパンを注いで一つをわたくしに差し出してくださったのです。
チン・・・グラスを軽く合わせます。
「半年ぶりだね。山崎からも聞いていたけどお変わりないみたいだね、祥子さん。」
「恐れ入ります。相変わらずお世辞が上手ね。」
「お世辞なんかじゃないさ。」
そば粉のブリニに乗せたキャビアをわたくしの口元に差し出すのです。
「ありがとうごさいます。」
わたくしは微笑んで、ひな鳥が親鳥から餌を与えられる様にして・・・贅沢なオードブルを口にしたのです。
ストイックなまでのそば粉の香りと口の中ではじけるベルーガの濃厚な味を、辛口のシャンパンが洗い流してゆきます。
石塚さんも、同じものを・・・そして生ハムを召し上がられます。
パーティがはじまってからずっと、来客の皆様にご挨拶にまわられていたのでしょうか。
乾杯の時に形ばかり口にしたシャンパン以外はほとんどなにも召し上がらず、お腹が空かれていたようです。
この時間も、下のパーティルームではイベントやご挨拶など・・・本来でしたらこなさなければならないお仕事が続いているはずです。
「抜けてらして大丈夫でしたの?」
2杯目のシャンパンを注いでいただいたところで、あらためて問いかけたのです。
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「ああ、今日は本体の取引先のための慰安会だからね。主役は父と兄なんだよ。」「もう、石塚さんも専務さんなんでしょう。」
「いやいや、僕は外の会社の人間だからね。まぁ、最初と最後の挨拶の時に二人の後に控えてれば、後はさほどしなくちゃいけないことがあるわけじゃないんだ。」
本体とは竹上建設のことでしょうか。
石塚さんはディベロッパーの竹上開発の社長をしているのだと、長谷川さんが教えてくださいました。そして、お身体の弱いお兄様を補佐するために竹上建設の専務を兼務されていることも。
石塚さんは、謙遜されてらっしゃるのです。
実力が上と世間に噂されてもそんなそぶりは少しも感じさせず、人目に立つ場所ではお兄様を立ててらっしゃることは、多くのお客様に話しかけられていても常にお二人の後に立ってらっしゃることで充分に解りました。
「わたくしは1人でも充分に楽しんでおりましたのに。気を遣わせてしまってごめんなさい。」
「一緒に居たのは、たしか黒部設計のチーフだよね。」
「長谷川さんのこと?」
先ほどグラスを上げて合図をした時、同じテーブルに居た彼のことに気付いていたのでしょうか。
「わたくしは良く存じませんの。設計をされている方だっていうことは先ほど伺いましたけれど、黒部設計の方だったんですか。」
黒部設計事務所といえば、わたくしさえ名前を知っている有名な設計家の方の事務所です。
そういえば、ジャズライブの行なわれるホテルは、黒部設計のオフィスから歩いていらっしゃれるほどの距離にありました。
「ああ、大先生はいまは大型プロジェクトとか美術館のような文化施設しか手がけなくなっているからね。彼は商業施設の設計にとてもいいセンスを持っていてね、うちも随分世話になっている。実力のある、脂ののった設計家だよ。黒部設計の稼ぎ頭だね。」
石塚さんと長谷川さんは、直接の面識はないようでしたがお互いのことをよくご存知でした。
わたくしが親しくさせていただいている別の男性のことを、ご一緒している方から詳しく聞かされるなんて、なんだか複雑なものでした。
それでも、ご一緒の男性の口から語られる内容が素晴らしいものであれば、あぁわたくしの眼は間違ってなかったのね・・・と嬉しくもなるものです。
「ふふふ 石塚さんがそんなに褒めるなんて、あの方はお仕事の出来る素敵な方だったんですね。」
「女性の趣味も極めて良いみたいだしね。」
石塚さんの右手の人差し指がわたくしの肩から流れ落ちる髪を絡めとります。
「そうですの?」
「妬けるよ。」
ガタっ・・・ 腰を浮かした石塚さんの唇がわたくしに重ねられます。
シャンパンの香りのキスは、長く続きました。
「もう、お行儀がわるいのね。」
そう、この方はこういう方でした。
何時間も隣でお酒をご一緒しても、わたくしが許さなければ手を重ねることしかしない山崎さんとは・・・違うのです。
ふいに唇を奪って、でも憎めない可愛い方なのです。
「祥子さんのキスは甘いな。今日はワインの良い香りがする。」
「ふふふ、もう・・・いけない人」
ドォン・・・ 窓から重い音が響ききらびやかな光の乱舞が見えました。
「はじまったね。お腹すいてる?祥子さん。」
「いいえ、わたくしは。さきほど下でもいろいろいただきましたし。」
「それじゃ、せっかくだから外で観よう。東京湾大華火大会の特別席だよ。」
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パーティバッグを室内に置いて、シャンパングラスを手にシーリングされたドアを開けました。そこは小さなデッキに・・・いくつかのデッキチェアとテーブルがありました。
ここはこのお部屋からしか出ることができない場所・・・専用デッキのようでした。
ドォン・・・ドォン・・・
「まぁ、綺麗。ね、石塚さん。」
「そうだね」
手すりにつかまるわたくしの右隣に、ジャケットを脱いだ石塚さんが立たれました。
空には煙火店の職人さん達が技術の粋を尽くしたアーティスティックな尺玉が大きな花を広げています。音も・光も・色も・形も・・・伝統的な技法だけでなく新作も用意されているようです。
「ここは、専用デッキなんですの?」
「そうだよ。祥子さんと二人きりで貸し切り。」
「贅沢ですわね。」
「前にも言ったでしょう。祥子さんと過ごす時間に贅沢すぎるものなんてないんですよ。」
もう、この方は相変わらずなのです。
冬の別荘をわたくしと過ごす為だけに改装したり、AV車を新車で1台お求めになったり、京都まで陶器をご注文なさったり・・・。
「会社の会なのでしょう。こんなに綺麗なら他の方も上がっていらっしゃるんじゃないんですか?」
飲み干したシャンパングラスをわたくしの手から取り上げて、石塚さんはデッキのテーブルにご自身のグラスと並べて置きます。
「いや、この特別室は僕が個人的に借りたものだからね。だれも来ないし、誰も通しちゃいけないとこの船のクルーに言ってある。僕が上がってきた後はスタッフ以外立ち入り禁止の札が階段に掛かっているはずだよ。」
「そんなことなさって・・・お父様とお兄様に叱られてもしりませんよ。」
「大丈夫だよ。二人とも祥子さんのことは気に入ったみたいだからね。」
わたくしの心配を、答えとも言えない言葉ではぐらかしてしまわれるのです。
この方がこう仰りはじめたら、もうどううかがっても本当のことはおっしゃらないことでしょう。
いえ多分言葉通り、わたくしを招待するためだけに、このお部屋をご用意くださったかもしれません。
石塚さんの手がわたくしの髪を愛でています。
はじめてお逢いしたときから、この方はわたくしの髪がお好きでした。
「いつもすべすべで細くて気持ちのいい髪だね。」
「ふふふ、ありがとうございます。」
ドォン・・・ 重い音の塊が身体を直撃いたします。
胸の頂きまで伸びた髪は絹糸の様に細く、毛先までなめらかでした。
フリーになって、クライアントの男性から受けがいいからと髪を伸ばしはじめた時わたくしが決めたことがあります。そ
れは、髪が傷ついたら短くするということです。どれほど長くても、枝毛の目立つ傷んだ髪は、わたくしのライフスタイルがチープであるかと表しているかのように思えて・・・許せなかったからです。
ヘアケアはスタイリングではなく、全ては美しい・正しい髪を保つためのものでした。
さらさらと流れるストレートのロングヘアは、花火を照り返して複雑に色を変え、微かに吹く潮風に嬲られておりました。
「少し正月のころよりも長くなったかな?」
「そうですわね。」
「アンダーヘアも元通りに伸びたかな?」
「や・・・っ」
わたくしは、思わず石塚さんの方へ振り向いてしまいました。
お正月に雪の別荘でこの方の手で剃毛された・・・わたくしの茂み。
いまは、ほんの少しだけ短めに整えられた状態で、すっかり元に戻っておりました。
「なにをおっしゃるの」
「ずっと気になってたんだ。祥子さんがあれからどうしてるかって。ちくちくするからって2度と元通りに伸ばせなくなる女性もいるからね。」
チッ・・・
「だから祥子さんがどうしているか、あの時に撮った2枚の写真を見比べながらいつも考えていたんだよ。」
石塚さんはついと手を伸ばすと、わたくしの眼鏡を取り上げたのです。