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「お食事の準備ができましたわ。暖かいうちにいただきましょう。」「わかった。白雪をベランダに上げてから行くよ。」
「はい。あっ、あの。」
カシャ・・ カシャ・・
玄関に入りかけて振り向いたわたくしの姿までカメラは捉えてゆくのです。
「なんだい。」
「お餅はいくつ?」
「とりあえず、3つかな。」
「はい。じゃいらしてね。」
カシャ・・ カシャ・・ カシャ・・
シャッター音は玄関の扉が閉るまで続いていました。
お餅を3つとおっしゃっていましたが、一度には盛り切れません。美味しく焼けるように冷蔵庫からあと2つお餅を出して常温に戻しておくことにしました。
そして、ピッチャーに入れた水をベランダにある小テーブルに出しておきました。
きっとこれで気付いてくださるはずです。
わふ・わふ・・・わん・・
まってろよ。
ベランダに白雪と高梨さんの声がします。
白雪の朝ご飯の支度をして、高梨さんが戻ってらっしゃるおつもりなのでしょう。
昨日のようにベランダからいらっしゃるのかと思いましたが、高梨さんは玄関から入ってらしたようです。そして10分ほど、リビングにはお戻りになりませんでした。
「ありがとう。出しておいてくれたんだね。」
そういって、リビングにいらした高梨さんは着流し姿でした。
「あら、お似合いだわ。」
「ははは、恥ずかしいな。とにかく食事にしよう。」
照れた風に頭を掻いている高梨さんに、紺のウールのお着物はとてもお似合いでした。
暖かなお雑煮のお椀をテーブルに運んで、わたくしは昨晩と同じ席に正座をすると三つ指をついてご挨拶をしたのです。
「あけましておめでとうございます。」
「・・あけましておめでとう。今年もよろしく頼みます。」
一瞬、高梨さんが戸惑われたのがわかりました。
それでも落ち着いた、甘くて丸いあの声できちんと新年の挨拶を返してくださったのです。
「お出掛けするっておっしゃったから、形だけお屠蘇です。」
掘りごたつのようになったリビングのテーブルに脚を下ろして、わたくしは塗りの器を高梨さんに差し出したのです。
「ありがとう。こんなきちんとしたお正月は本当に久しぶりだよ。」
「わたくし流なので、手抜きですけれど。」
一番大きな杯を手にした高梨さんに、お屠蘇を注ぎます。
「ご返杯。いや、この杯でいいだろう。」
一気にお屠蘇を飲み干した高梨さんは、彼の選んだものよりも一回り小さい杯に手を伸ばしたわたくしにご自分の使われた杯を差し出したのです。
「礼儀には叶わないかもしれないが、そうしてくれたら、嬉しい。」
「はい。」
同じ器から・・・同じ場所から同じものを頂戴する。
ただそれだけのことにこだわる高梨さんのお気持ちを微笑みながら受け取ったのです。
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片手で、注がれるお屠蘇。構えられるカメラ。カシャ・・ カシャ・・ カシャ・・
シャッター音が始まりました。斜めから、朱塗りの杯とわたくしの指先とそして露になった頤から喉元までをレンズがなめているのがわかります。
そのリズムに合わせる様に、わたくしはゆっくりと久方ぶりのお屠蘇をいただきました。
カシャ・・ カシャ・・
わたくしがカメラの向こうの高梨さんに向かって微笑むまで、シャッター音は続いたのです。
「粋だね。祥子の飲み方は。」
「ふふふ、お上手ね。カメラに夢中になっているとお雑煮が冷めますわ。」
「ああ、いただきます。」
「どうぞ、召し上がれ。」
カメラを脇に置いて、大振りのお椀に高梨さんが手を伸ばします。
そのまま、まずお出しを味わって・・・ふうっとため息を吐かれたのです。
「お味が違いましたか?」
「いや、うちの味にあんまり近いんでびっくりした。」
「よかったわ。そう言っていただけて。」
お雑煮はその家・その家で味が違います。
基本となるお出汁の味はうかがうことが出来ても、取り合わせる具で随分味がちがうものです。
五品の具材を合わせた今朝のようなものから、具材には小松菜だけで花鰹を沢山掛けるという家もあれば、小松菜と里芋と鶏肉だけというお宅もあるのです。
まだもう一日、お雑煮を作るチャンスはありましたから、もし取り合わせが違っていたら高梨さんのお好みをうかがって明日は合わせてさし上げようと思っていました。
「ん、おふくろのより随分上等だ。」
おかわり、早速2つのお餅を平らげた高梨さんが空になったお椀を差し出します。
「はい。お餅はいくつにしますか?」
「2つ、だな。」
「はい。」
オーブントースターでお餅を焼きます。
本当は炭火で焼くと香ばしくて美味しいのですが、じっと見ていなくてはなりません。
今朝は祝い膳をご一緒したかったので、ちょっとだけ手抜きです。
「そんなことをおっしゃったら、お母様に叱られますよ。」
「ははは、九州にいるんだ。聞こえやしないよ。」
「もう、お正月から罰当たりだわ。」
「おふくろはね、ほんとうに料理が下手だったんだ。だから正月はこの家に来て、祖母のおせちを食べた。親父が銀行勤めをしてたから転勤が多くて、長男の嫁なのに祖母から料理を習う間もなかったんだろうな。ここで食べるおせちは、普段のうちのご飯より何倍も旨かったよ。」
「そうでしたか。」
高梨さんの家庭のお正月の味は<お祖母様の味>だったようです。
このお正月、少しでも曾ての想い出を楽しんでいただけるなら、こうしてお料理させていただけて良かったと思えました。
「ん、この味ならブリーダーの中野さんも文句なしだな。」
栗きんとんを口に運び、嬉しそうに笑う高梨さんの顔なんてきっとアシスタントの方は見たこともないでしょう。
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「はい、熱いですから気をつけてくださいね。」お代わりのお椀を差し出して、わたくしもあらためて高梨さんの隣に座ります。
「このお着物は、どうなさったんですか?」
「おふくろの若い頃のものなんだ。あの年代の人にしては大きな人だったから祥子でも着られると思ったが、正解だったね。」
「はい、まるで誂えたみたいです。それに着心地が良くて。いい感じに練れたお着物だったので。」
「祖母が手縫いしてね、正月にここに来る息子夫婦のために縫ってくれていたらしい。何度か着て、もうそのままになっていたみたいだけどね。よかったよ、虫に喰われてなくて。」
「高梨さんがお召しになっているのは、お父様の?」
「いや、これは祖父のものらしい。」
「あら、まるで対のようだからてっきりご夫婦で誂えられたんだとばかり思ってました。」
「実はね、親父は俺よりも小さくてね。俺はだから祖父の隔世遺伝だな。」
「ふふふ、だから可愛くてらしたのね。あなたのことが。」
高梨さんの少年のころに過ごした家で、ご家族のお召しになった着物を着て。
想い出話を通していままで知らなかった高梨さんのことが少しずつわかってきます。
「ゆずるさん、ってどうゆう字を書くんですか?」
「分譲マンションの譲だよ。」
「ふふ、その喩えが・・・おかしい」
「そうか。なんでそんなことが気になるんだ。」
「だって、ゆうべ教えてくださったのは呼び方だけだったから。」
「そうか。仕事仲間は皆、ジョーって呼ぶんだ。」
「それで写真集のサインがJoeだったのね。」
「見てくれたのか、写真集も。そうだね、なかなか外国人にyuzuruって発音してもらうのが難しくてね。漢字表記はそのままに、Joe Takanashi と仕事上の写真にはサインしている。」
「ええ、だからゆうべ譲さんだって聞いて、ちょっと不思議な気がしたのよ。」
「ああ、それは気付かなかった。」
ははは・・・。
プレートに盛り合わせた祝い肴を綺麗に召し上がりながら、大きな声で笑ってらっしゃるのです。お料理の味に負けないように、しっかりと入れたお煎茶を美味しそうに召し上がってくださいます。
このあとお出掛けがなければ、お酒を出して差し上げたいほどでした。
「高梨さん・・・」
「ん、もう名前で呼んでくれないのかい?」
「だって・・・」
ベッドの中で、快感に狂わされながら教えられた高梨さんの名前には、昨晩の淫らな香りがまとわりついているようでした。
口にする度にその記憶が蘇るようで・・・わたくしは、香り付けにお屠蘇に入れた日本酒に酔ってしまったように頬を染めたのです。
「ここにいる間だけでも呼んでくれると嬉しい。」
わかっています。高梨さんが、無邪気にそう思ってらっしゃるだけだということくらい。
「譲さん・・・ふふふ、照れちゃうわ。」
「ははははは、それは俺の台詞だろう。」
わん・わん・・わん・・・ 室内の楽しげな様子がわかるのでしょうか。ベランダで仲間に入れろと言いたげに白雪が鳴いています。
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「お腹も一杯になったし、初詣にでも行って、大きな温泉にも行ってみるか。」「ええ。」
わ・わん・・・
「白雪も一緒?」
「ああ、置いて行ったら奴に怒られそうだからな。」
「わかりましたわ。それじゃ20分だけ時間をください。お片づけをして、出掛ける準備をしますわ。」
「ゆっくりでいいよ。急ぐわけじゃない。のんびりテレビのバラエティを見るのもたまにはいいもんだ。」
「もう♪」
わたくしは食事の間外していた割烹着を身に着けて、下げた食器の洗い物をはじめました。それから、今夜のお夕食のためのお米を少し早いけれどといで・・・・。
キッチン以外のいろいろな支度をされる高梨さんと白雪と、神社に向かうパジェロに乗り込んだのはそれから30分後のことでした。
村の鎮守の・・・という童謡がぴったりと似合いそうな神社に白雪と一緒にお参りをして、お昼はそこでお逢いした村のお仲間のお宅にお呼ばれして、『数馬の湯』という地元の温泉で・・・その間だけは白雪はパジェロでお留守番でしたけれど・・・たっぷり暖まって。
元旦の一日をわたくしたちはそうして過ごしました。
木組みのこの家に戻ったのはもう陽も暮れた頃。
白雪と一緒にちょっと昼寝をすると囲炉裏端に横になった高梨さんをそのままに、わたくしは夕食の支度をしたのです。
お昼も地元のお料理をたっぷり頂いてしまいました。
だから、今夜はちらし寿司と岩のりのお味噌汁・水菜とお揚げのおひたし・そして金目鯛の煮付けといったさっぱりしたお料理にいたしました。
気持ち良さそうに眠る二人の男性と同じ屋根の下で、味わってくださる方のためにお料理をする、その久しぶりの喜びをわたくしはじっくりと噛みしめておりました。
「譲さん、そろそろお食事にしませんか?」
驚かせないように毛布を掛けた肩をゆっくりと揺すって起こします。
「ん~~~、何時だ。」
「そろそろ7時になります。」
「そっかぁ、良く寝たな。白雪は、あぁこいつも良く寝てる。おい、白雪起きろ、飯の時間だぞ♪」
くぅぅ~~ん 高梨さんに起こされた白雪は、前脚をずっと前に伸ばして腰を高く上げて・・・めいっぱい伸びをしました。
「もう、食事はできるのか?」
「ええ。でも、これから白雪をベランダに出すのは可愛そうね。」
「ああそうだな。とはいえ、ここに置いとくとゆっくりと食事もできないから今日は白雪は玄関だな。」
わん♪
「いま白雪の食事を準備するから、それまでもう少しまってくれ。」
「はい。」
高梨さんは白雪に改めてリードを付けました。
そして、リビングの外。玄関の扉をロックして引き手のバーにリードを括り付けたのです。
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ベランダから、白雪のためのドッグフードと食器を運んで・・・わたくしが水をお持ちすると、ありがとうと言う様に一声、わん・・と吠えるのです。「召し上がれ♪」
美味しそうに食事をはじめた白雪を置いて、高梨さんとわたくしもお夕食にいたしました。
昼間、出掛けている間中。
運転している以外の時間、高梨さんはカメラを手放さなかったのです。
神社の参道を歩く間も、お賽銭を入れて一年の無事を祈る一瞬も、白雪と戯れるひとときも、わたくしのまわりからシャッター音が途切れることはありませんでした。
昨夜、ベッドの中で淫らな姿を写されていたのとは、明らかに空気も高梨さんの緊張感も違いました。
なのに、わたくしは繰り返されるシャッター音に次第に瞳が濡れてゆくのを止めることができませんでした。
「祥子も大分カメラ慣れしてきたみたいだね。」
これもうまいな・・・ そうおっしゃりながら、高梨さんはちらし寿司を召し上がってらっしゃいました。
「そんなことありません。もう、お外であんな風に写真を撮ったりしたからとっても恥ずかしかったです。」
「いいじゃないか。俺の仕事のことは皆知っているし、それにまともな写真しか撮らなかったろう。」
「まともじゃない写真まで撮るつもりだったんですか?」
「さぁな」
ははははは・・・・ 高梨さんは無邪気な笑い声を上げていました。
「春に逢った時の祥子は、全くカメラに慣れてなかったからね。被写体としてどこまで俺に染まってくれるか、半信半疑だったんだよ。今日は本当に綺麗だった。ゆうべの荒療治が効いたみたいだね。」
「もうっ・・いぢわる」
「帰るまでには見せて上げるよ、写真。祥子だけにはね。」
昨晩、メインベッドルームで撮られた写真がどんなものだったのか、わたくしは全くわかりませんでした。今朝目覚めた時には、ベッドの上に向けてセッティングされていた筈の5台のカメラはどれ1つ見あたらなかったからです。
きっと、わたくしが眠っている間にカメラを取り外し・データをPCに落としたのでしょう。
あんな痴態を晒すことになるのを解っていて・・・わたくしは、どうしてお写真を撮ることを許してしまったのでしょうか。
お食事の途中でこれ以上の淫媚な雰囲気にならないように、わたくしは眼の前の今日2本目の徳利を取り上げました。
今夜のお酒は、熱燗の剣菱でした。テーブルの上に置かれた小型の火鉢に掛けられた鉄瓶に、1合徳利を漬けて・・・お燗番は高梨さんがなさってくださいました。
わたくしは、昼食のおよばれにも随分お酒をいただいていたのです。ほろ酔いのままにお夕食になって、それほどお酒は進みませんでした。
ずっと運転をなさっていた高梨さんの杯に、徳利を傾けます。
「ありがとう。魚の煮付けには、熱燗だね。」
「眼の前でお燗ができるなんて、こんな素敵な方法で楽しめるとは思わなかったわ。」
「そうだろう。こうして置けばあまり酔っぱらわなくてもいいしね。」
「譲さんは、昼間は全く召し上がってらっしゃらなかったのに。」
「今夜はとことん祥子を可愛がるつもりだからね。酔ってしまうわけに行かない。」
ごちそうさま 高梨さんは、全ての器のお料理をきれいに召し上がるとそうおっしゃって箸を置いたのです。