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初雪 58

窓を叩く望月さんの手が2度振り下ろされるのと、閉ざされた窓が開け放たれたのは同じタイミングでした。
「とにかく、中へ」
そう声を掛けてわたくしを望月さんから受け取って下さったのは、石塚さんのがっしりとした腕でした。
暖められた室内に入ってもわたくしの震えは止まりませんでした。
望月さんも同じだったのでしょう。
青ざめた唇を見つめた美貴さんは、何も仰らずにわたくしを暖炉の前のラグに座らせたのです。あかあかと燃える火が齎してくれる熱を目の前にしてさえ・・・わたくしはまだその暖かさを実感出来ずにいました。
がた・・がた・と・・震える肩に、毛布を掛けしっかりと覆ってくださったのは山崎さんだったのです。

「どれだけ時間が経っていると思っていたんだ。望月」
そもそも脅しのつもりだったのでしょう。ほんの数分・・・それで堪え切れずにわたくしが折れると思っていたのです。美貴さんの声の苛立ちには、自らが振り上げた拳を振り下ろす先を無くした憤りも・・・僅かながら含まれていたのに違いありません。
「どのくらい・・・ですか・・」
冷気だけに囲まれた音のない雪の夜。望月さんと二人きりのその時間はあまりに堪え難く、ほんの数秒にも数十分にも思えていたのです。
「5分になるところだった。今夜は外はマイナス3度だ。祥子さんを君に任せたんだぞ。解ってなかったのか!」
「申し訳ございませんでした。それほど時間が過ぎているとは、思いもしませんでした」
5分・・・零下の外気になにも身につけずに5分。体調が悪ければ発作を起こしかねないぎりぎりの時間だったようです。
美貴さんと望月さんだけでなく、あとのお二人もそのことは熟知なさっていたようです。
解っていたからこその叱責でした。

一頻り叱責をした後で湯気の立つマグカップを差し出した美貴さんの瞳には、ほっとした表情と望月さんへの優しさが表れていました。しっかりと望月さんの手にマグを握らせると、もう一つのマグをわたくしの右側に寄り添う石塚さんに差し出したのです。
「縄を解いてさしあげたいが、望月の手はまだだめでしょう。もう少し我慢してください」
美貴さんはわたくしの頬をあたたかな両手で包むと、よかった・・・とひと言だけ漏らしてその場を立っていかれたのです。
「暖まりますよ」
石塚さんはマグカップから一口含むと凍えるわたくしの唇に・・・口移しされたのです。
それは赤ワインをあたためて蜂蜜とレモンを入れたホットワインでした。
ゆるゆると唇から流し込まれる甘く暖かな滋味を、わたくしはゆっくりと飲み下したのです。
ふた口・・・三口・・・奥歯が鳴るようなわたくしの震えが収まってまいりました。
四口・・・五口・・・頬に首筋に・・・暖炉の炎の暖かさを感じはじめました。
六口・・・七口・・・わたくしの唇に暖かさが戻ってきていたのでしょう。
八口・・・ ようやく大きな暖かなため息がわたくしの唇から漏れたのです。

「ありがとうございます。石塚さん」 
「大丈夫ですか?」
「はい、漸く人心地がつきました」
「良かった。ほっとしましたよ」
心配そうにこわばっていた石塚さんの表情が、人なつこい柔らかな笑いに包まれたのです。
本当に心配してくださっていたことは、口移しで飲まされたワインでわかりました。
ほんの少しの欲望も感じさせること無く、わたくしの身体の熱を取り戻すためだけに無心に行われる・・・行為だったからです。

「望月くん、祥子さんの縄を解いてくれないか」
「はい」
彼はもうとうに回復していたのでしょうか。キッチンの奥から返事が聞こえました。
「さぁここに座ってください」
石塚さんが指差したのは、暖炉の前のソファーセットのローテーブルでした。
そこには毛布が1枚敷かれていたのです。
わたくしはまだしっかりと立ち上がることができませんでした。肩に掛けられた毛布ごと石塚さんに抱かれて・・・テーブルに腰を下ろしたのです。
「失礼いたします」
背後から望月さんの声が聞こえました。肩に掛けられていた毛布を背の中程まで落とすと・・・手首で止められた赤い縄を解きはじめたのです。
「・・ひぃっ・・」 
「申し訳ありません。冷たかったですか?」
彼の指や手はまだ氷の冷たさを残していました。
「いえ、ごめんなさい。続けて・・・解いてください」
アルコールと暖炉の火で急激に暖められたわたくしの身体に、その指の冷たさは彼が自分自身を責めている証のように感じられたのです。 コメント
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